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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

新聞社の記者育成は、OJTという名の放置なのか!?

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だいぶご無沙汰のブログになってしまいました。修士論文の佳境を迎えています(ブログ書いてていいのか...)。

 

現在は調査報道のプロセスに関する研究をしていますが、その研究の一環で、記者にインタビューをする度に、「新人時代、育成なんてものはなかった」「放置プレーだよ、放置プレー」という声を聞きます。私自身の経験でも、新人時代、いきなり現場に行って体で覚える的な感じで、体系だった指導はなかったように思います。

 

しかし、「じゃあ、なんで新人の記者が、一人前の記者になるのか」、「なぜ、成長するのか」。最近、マスメディアの世界を離れて、周囲からそれを問われる度に、考えてきました。

 

最近思うのは、新聞社に育成はないのではなく、新聞社は育成に無自覚なのではないかってことです。

 

入社すると、「現場でつかえねーな」と思うような研修を一定受けて、地方に配属されて、いきなり警察署に放り込まれて、デスクにボロクソ怒られながら毎日の取材に奔走して、気づいたら数年経って、なんとなく記事が書けるようになっている。

 

そう説明する記者は多いです。

 

しかし、なぜ「なんとなく記事書けるようになっている」のでしょうか。

 

 

■記者の3つの学習ポイント

私は、この「はちゃめちゃ崖から突き落とし的記者養成過程」の中に、主に次の3つの学習ポイントがあるように考えています。

 

①圧倒的頻度のフィードバック

新人記者にとっての上司は、一義的には「デスク」と言われる20年くらい年上の編集者ですが、記者とデスクはほぼ毎日朝から晩までやりとりしています。記者は、現場で取材して原稿をデスクに出して、「お前、まともに取材して書いたんかぁ!」などと電話越しに怒られながら、原稿を手直しされます(怒鳴られるときは電話を耳から離します)。場合によっては、デスクから書き直し(「替えで送ってこい!」)や、補足取材(「追加で送ってこい!」)を命じられます。

 

ここで重要なのは、デスクは基本怒っているのですが、それはあくまで「原稿で対話する」ことが前提になっているということです。特に連載など長い記事は、文章力が問われます。デスクに多くの注文を受けて、やりとりを続けていると、見違えるように素晴らしい文章になることがあります。「やっぱ、デスクすごいな」と思ったことは1度や2度ではありません。例えば、この記事(http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO004219/20130105-OYT8T00111.html )の最後の一文の「すぅーと」のくだりはデスクからの提案でしたが、こうした余韻を残す些細な文章表現方法一つとっても、大変勉強になりました。

 

原稿の質に対するフィードバックが、新人なら多い日では1日原稿3~5本、少なくとも最低1本は、デスクとやりとりしているのではないでしょうか。それを1年365日やっているのですから、そら数年もすれば嫌でも書けるようになりますね。こんなに毎日、上司からフィードバックを受けられる仕事はほかにないと思われます。 教育学や経営学にはフィードバック研究というものがあります。調べていたら、中原研究室の先輩である立教大学の舘野先生のブログが見つかりました (http://www.tate-lab.net/mt/2015/11/1491.html)。私はこの勉強会に参加できませんでしたが(泣)、いかに効果的なフィードバックをするかを研究することは大変意義深いです。百戦錬磨のデスクに文章を見てもらい、良質なフィードバックを受ける機会は極めて重要なのではと思います。

 

②垂直水平的支援体制  

先輩、後輩のつながりは密接です。新人記者には、大体「キャップ」と言われる現場を統括してくれる数年年次の上の先輩記者がいます。嫌でも何でも「やれ」と言われた細かい指示を徹底してやる。「毎日持ち場によってから帰れ」、「駐車場も注意して見ておけ」。徐々に、先輩の指示の意味がわかるようになってきます。毎日、通うと些細な変化に気付くようになります。先輩の指示は昼夜を問いません。僕がキャップの時は、後輩記者と午前3、4時に電話することも少なからずありました。それだけ密な連絡のやりとりをしていると、記者としての立ち振る舞いがわかるようになってくるのです。

 

新人記者は地方に一人で配属されることが多いため、同じ会社の同期はいません。しかし、同じ境遇の新聞社やテレビ局の同業他社の同期はいます。普段から取材などで顔を合わすことが多いので、次第に仲良くなって、飲みに行くようになります。独自で進めている取材などの話はしませんが、悩みや職場の愚痴をこぼし、お互い精神的に支え合える環境があります。公私混同も甚だしい環境なので、時間を気にせず、夜中から焼き肉、朝までBARで語り合うことが少なくありません。辛くても吐き出せる仲間が近くにいるのです。

 

もう一つ特筆すべきは、よくメディア批判で聞く悪名高き「記者クラブ」の存在です。記者クラブは、学びの宝庫です。同業他社の先輩記者の振る舞い、取材手法を目にする機会が多いからです。さらに、他社の手の内を探り合いつつ、スクープを出すための駆け引きがあります。記者発表の情報は一括で記者クラブに入ってきますが、それぞれ記者が独自で動いている取材は絶対に明かしません。むしろ、スクープを出す日は、あえて暇なフリをして、気付かれないようにソファで寝たり、ざるそば食べたりします。 こうした垂直にも水平にも密接な関係性があるなかで、業務支援、精神支援を受けやすい環境があります。 

 

③学習資料のアクセスしやすさ

新人記者にとって最も有効な学習教材は、やはり新聞記事です。過去の記事を見て、うまい書き方を知ったり、今との違いを比較したりすることができます。会社や記者クラブには新聞のスクラップが全て揃っていますし、資料室に行けば、先輩記者たちの取材メモが残っていることもあります。

 

また、近年ではデータベースが充実しており、パソコンで簡単に他社の記事を含めて見る事ができます。 記者になると当たり前のことと思いがちですが、実はこういう資料を簡単にアクセスできる環境は極めて重要のように思います。アウトプットをイメージして、新聞の型を覚える事ができます。ある有名な記者にインタビューしたときは「新人の頃はよく資料室に行って、文章がうまいと言われている先輩記者の過去の記事を読みあさっていた」と言っていました。こうした充実した資料とアクセスのしやすさは学習を促す一要素になっているといえます。

 

 

■今の環境が良いわけではない

このように、新人記者にとって学びの要素は少なからずあります。これらの環境から、自発的に取材や原稿執筆スキルを獲得しているように思います。 しかし、だからといって現状維持がよいわけではないと、私は考えます。

 

このような環境は、記者の育成のために、意識的につくられているものなのでしょうか。 もし無自覚であるとするならば、こうした環境が失われていく恐れがあります。育成にムラが生じることも考えられます。

 

例えば、デスクとのやりとりに関して言えば、昔に比べるとネットを通じて原稿を出して、ネットを通じて原稿の直しが返ってくるようになりました。どこがデスクに直された部分かが瞬時にわかるようになっています。顔を突き合わせたり、言葉でやりとりしたりする機会が減っている可能性があります。

 

人員が減り続け、記者クラブで顔を合わす記者が少なくなっています。一人当たりの記者の仕事量が増え、記者クラブに滞在する先輩記者がいなくなると、観察学習の機会は減ります。

 

すべてが学習に影響を及ぼすわけではないと思いますが、効率化が求められている状況であればあるほど、学習ポイントを意識した育成をしなければ、記者は今以上に育たなくなるのではないかと危機感を覚えます。

 

そして、もう一つの問題点は、内省の機会がないことです。多忙を極める記者は、経験を振り返る時間を持つ事はあまりありません。居酒屋で先輩や同期とちょっと語り合う程度です。OJTであるならば、特に経験から学び取る必要がありますが、経験から次に向けてどうするのかを考える機会がないように思います。

 

今回は、新人記者の学習環境について考えてみました。これからの時代、ますます計画された、デザインされた学習環境を埋め込む必要があるのではないでしょうか。いい記者を育てることは、いい情報を流通させることにもつながる。私はこうした研究を続けていきたいと思っています。

 

それでは、お元気で。

新聞社はなぜ人材マネジメントの地平にのらないのか

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◆人材育成の研究が少ないマスコミ業界◆

私はジャーナリズムと人材育成の研究を始めてから、「人的資源管理」(HRM:Human resource management)や「人的資源開発」(HRD:Human resource development)といった領域のなかで、なぜマスコミ業界の企業を対象とした研究がほとんどないのだろうと、ずっと疑問に思ってきました。公共性の高い職種であっても、一部のメディアを除いてほとんどが私企業としてやっているわけで、他業界の企業の多くは研究対象として扱われているのに、不思議だなぁと。

 

私が所属している中原淳先生の研究室には、秘書、学校の先生、看護師、中堅社員、就職生、ボランティア従事者など、「人材育成」を共通点としてさまざまな職種で研究を行っている先輩方がおられますが、このなかでは記者に関する先行研究がぶっちぎりで少ないです。

 

とりわけ日本においては、採用からシニアまでのキャリア、マネジメント関連の記者を対象とした論文はほとんどありません。持論に近いような話を本で語られることはあっても、科学的に検証されていてかつ査読つき論文となると、なかなか見当たりません。(もし、そういう論文を見つけている方がおられましたら、海外文献含め、ぜひともご一報ください。切実……。)

 

マス・コミュニケーション研究に位置づけると、こうした記者や組織に関する研究は、いわゆる「送り手研究」と呼ばれるものですが、多くの研究者がこの「送り手研究」の立ち遅れを指摘しています。つまり、従来、新聞やテレビにどういう言説があるかといった内容分析、ニュースを見た人々がどのように意識を変えたのかといった受容効果研究などは比較的進められてきましたが、こうしたニュースの作り手がどのような環境下で、どういうふうにニュースを生産しているかという研究はあまりないということです。

 

私は元々、新聞社に身を置いていましたが、確かに他業界で語られる「リーダーシップ」「マネジメント」「コーチング」「創発」「エンゲージメント」といった言葉を一度たりとも聞いたことがありませんでした。報道機関は、「経営と編集の分離」を掲げているため、とりわけ記者が所属する編集部局においては、“経営的なにおい”のするものを遠ざける風潮があるのかなと思います。 最近、マスコミでない業界の人々とお話しする機会を持つなかで、新聞社の特殊性を再認識しつつあります。ここでは主に3つ取り上げたいと思います。

 

◆組織の3つの特殊性◆

①記者対組織の構図

組織を作っているのは人、つまり新聞社においては、多くは記者であるはずなのに、組織の意思決定や上司の方針にフルコミットすることを是としない雰囲気が感じ取れます。例えば、しばしば、「デスクの命令に従うばかりでなく、自分が必要だと感じた記事を出せ」「時にはデスクの指示に対して無理なものは無理と断ったらいいんだよ」というアドバイスをされることがあります。また記者の先輩が「昔、よくデスクとけんかした」と語っているのも聞いたことがあります。  確かに記者は「個」としての自律性が高い職種であることは言われており、現場では個の判断で動くことが多い仕事です。しかし、もし、記者と組織の間でコンフリクトが生じる状況であれば、やはり効率的ではない部分が生じている可能性があります。この要因としては、社会に資するためのジャーナリズムの理念と組織の持つ理念にギャップがあることが考えられます。仮に、それによって個として追求していく業務と、組織の求める業務にミスマッチが起こっているならば、記者個人にかかる負担も大きくなるのは自明です。対話を重ね、記者と組織のあり方を整理することが求められます。

 

②「生涯一記者」というキャリアパスの志向性

記者は記者でありつづけたい。記者がデスクになりたいと思っている人も少ない。多くの記者は、記者を続けたいと思っています。デスクやマネジャーになりたいと思って、記者を志す人は少ないです。しかし、他の職種を見てみると、営業の人が生涯一営業マンでやっていきたいという人は多くはないと思います。いつか、部下を統括し、マネジャーになりたいと考えている。 つまり、記者は一般企業の社員と違って、マネジメントには基本的には興味がない傾向が強いのではと思います。ですから、後輩記者のモチベーション管理や創発的なチームづくりといったことにあまり関心を持っていないし、改善しようとしている人も少ないのではないかと思います。しかし、最近はメンタルをやられる若手記者も多いので、組織として記者育成を改善する仕掛けが必要になってきているのかもしれません。

 

③職人的気質の組織風土

紛れもなく新聞社には職人的風土があります。私はそういった風土が嫌いではないのですが、あまりにも暗黙的な実践知が多いとは感じます。背中で覚えろといった雰囲気や、できるやつは勝手に伸びるといったこともよく言われます。すべてがそうではありませんが、対話やスキル伝承をあまり重要視していない。記者の情報探索や取材手法に体系だったものがありません。 これは、どういう記者が良い記者なのかということがあまり議論されていないということにも起因しているように思います。職務要件が明確化されていないのかもしれません。また、若手記者は、他社の先輩記者の行動を観察学習して、熟達していくということがよく言われますが、これから記者の人数が減っていくにつれて、そういった学習環境が淘汰されていくおそれもあります。やはり、記者の職人技をできるだけ形式知化していく必要があるように思います。

 

◆特殊性を踏まえた人材育成研究を◆

このような新聞社の特殊性があまりにも他の業界の事情と異なるため、おそらく経営学の文脈で語られる知見をそのまま当てはめるのが難しいといえるのかもしれません。しかし、だからといって、これまで連綿と続いてきた職場での人材育成に関する研究の知見を切り捨てるのは、尚早なのではと感じます。これらの特殊性を十分に踏まえたうえで、新聞社でも同様の人材育成の研究を進める必要があるように思います。

 

「情熱があって、優秀な記者が活躍できる職場とは」。「新人が優秀な記者になるためには」。

 

これらの答えを模索し続ける必要があると思うのです。

 

それではお元気で。

連休に効率よく勉強するための5つの方法

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 ◆「なんて怠惰な人間なんだ!」と後悔しないために◆

休日が近づくと、「よーし、連休に一気に勉強するぞー」なんて意気込んでみたものの、いざ連休になるとダラダラしてしまって、勉強が思うように捗らなかったという経験はありませんか。

意志が強い人なら、そんなことはないかもしれませんが、私は連休最終日になって「自分はなんて怠惰な人間なんだ!orz」とへこんでしまった経験は数知れません。

そこで、意志が弱い自分を無理なく充実した連休にするための学習のコツを考えてみました。実際に取り組んでみると、かなり充実した連休になったので、ここに記したいと思います。

 

◆うまく学習するための5つのコツ◆

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①日常の友達を誘う
「一緒に勉強合宿しない?」と、勉強しないといけないような境遇にいる友達を誘います。そうすることで、ゆるやかな監視状態を作ることができます。お互い時間を決めて学習に取り組むことで、勉強スイッチが入りやすくなります。ここでのミソは「日常」の友達を誘うことです。会っても何らテンションが変わらない友達(良い意味で)。つまり、久々に会ったり、気心が知れていなかったりする友達だと、つい長々とおしゃべりしたくなるし、厳しいことも言えなくなるからです。

 

 

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②事前に時間割を決める

まず事前に1日の学習時間を決め、いつ何をやるかを計画します。少なくとも早朝、午前、午後くらいに分けて、取り組む課題を決めておくとよいです。表にまとめて常に見えるところに置いておいてもよいかもしれません。時間割なしに始めてしまうと、全体感がわからず、結局、楽にこなせる課題だけを取り組み、やった気になってしまうからです。終わってみたら、時間がかかる作業や、難しい課題だけが残ってしまったということになりかねません。「連休こそ、普段取り組みにくい勉強をすべきだったのにしてない…」とならないよう、全体の計画を立てておくとよいです。

 

 

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③リサーチではなく読み込みを中心に

まとまった時間がとれる連休は、読み込みを中心に取り組んだ方がよいです。インターネットや図書館などで、文献のリサーチをする時間に充てると、何の成果も得られなかったということも起こり得ます。しかも、リサーチは脱線の宝庫です。インターネットでリサーチをしているつもりだったのに、気づいたらYouTubeで漫才観ていた、とか、図書館で文献探していたら、気づいたら漫画読んでいたということになりかねません。机の上でじっくり取り組める課題を行う方が得られるものは多いと思います。

 

 

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④潔く勉強をやめる
連休になると、翌日も何の予定も入っていないからと言って、夜遅くまで勉強しようと思いがちです。無理して勉強することで、その日はやった気になりますが、その分のひずみが翌日から現れます。翌日、時間割通りに勉強が進まなかったり、勉強中に寝てしまったりします。毎日こなせる分量だけを設定し、時間が来たらスパッと勉強をやめる。ちょっと物足りないくらいと思うくらいの方が、翌日の勉強も捗ります。

 

 

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⑤最終日にはご褒美を忘れずに
最終日は早めに切り上げる時間割にします。連休に勉強といっても、やっぱりちょっとは休みらしいことをしたいと思うのが人間です。最終日の夜は、楽しみになるようなイベントを入れておきます。例えば、スポーツ観戦や映画鑑賞をして、その後飲みに行くといった予定です。そうすると、最後に楽しみがあるから、勉強も頑張ろうと、モチベーションが湧きます。

 

 

◆料理の作り置き、非日常の場所も工夫の一つ◆

ほかにも、食事はなるべく初日に大量に料理を作って、作り置きしておけば、時間の節約になります。また、自宅以外の場所で勉強することで、誘惑を減らすこともできます。

意志の強い人なら、こうした工夫は必要ないのかもしれませんが、どうしたら最も効率よく学習ができるかを考えるのも重要かなと思います。うまく自分の心と向き合いながら、よい学習環境を作ってみてはいかがでしょうか。

  

それでは、お元気で。

新聞記事と就職活動は似ている!?

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◆記事と就活に共通点がある?◆

就職活動シーズンが到来しているようです。大学院の周辺では、就職の話題になることが多く、曲がりなりにも一足先に就職活動を経験した私の体験談を聞かれることが増えてきました。

 

実は私、面接で落ちたことないんです。

すいません、ウソつきました。学部生の頃、シュークリーム屋さんのバイトに応募して、面接で落ちました。見た目からしてシュークリームというより、泥だんごって感じなので、完全にミスマッチでした(汗)。

 

冗談はさておき。 

 

新卒の際の就職活動は、数社しか受験せず、しかも筆記試験で何社か落とされたので、筆記を通過した会社はすべて最終面接まで行きました(一番始めに第一希望の会社から内定をもらったので、ほかは辞退)。また、転職活動をしたときも1社のみを受験して内定をもらいました。いずれも倍率は20倍以上あったそうで、勝手に面接に強いと思い込んでいます。ほんまかいな。

 

就職活動について、科学的に実証研究をされている方がおられるなかで、私が提供できる情報、知見なんぞ皆無に等しいのですが、大学院生と雑談をする中で、「ん?自分が就活について話していることって、新聞記事を作るときと結構似ているんじゃないか」と思った瞬間がありました。

 

◆面接で意識していたこと◆

参考になるかわかりませんが、面接の際に意識していた持論を述べてみたいと思います。

 

インパクトのある見出しを作る

面接は、短時間決戦です。いかに面接官の記憶に残るように話せるかが重要だと思います。長い人生経験をぎゅっと凝縮した見出しを持っておくことで、面接官を引きつけることができます。

 

例えば、僕は転職した会社の面接で「僕の強みはコミュニケーション力です。これまで幼稚園児から大臣まで約3000人から話を聞いてきました」と述べました。幼稚園児と大臣という対極にあるような人の例を挙げて幅の広がりを出し、数字で客観的事実も提示することで説得力が増します。後に採用した人から「あの一言は、すごく印象に残っているよ」と言われました。

 

何でもよいのですが、自分にしか語れない一言を持つことが重要だと思います。新聞記事の見出しは、読者を引きつけるようなキーワードが盛り込まれています。特に人モノの記事の見出しを見ていると、結構参考になるんじゃないかなと思います。

 

 

自分のしてきたことをストーリーで語る

面接では、よくこれまで「力を入れてきたことは何か?」「成功体験は?」「挫折経験は?」などということを聞かれます。

 

自らの経験は変えることができないので、たまに「私は大したことをしてきていない」と嘆くような人がいます。奇をてらったことを無理に話そうとする人もいます。

 

僕は何をしたかということにインパクトを求めるのではなくて、その経験を通じて何を語れるかの方が大事だと考えます。自分が力を入れて取り組んできたことなら、きっと紆余曲折あったはずで、それをわかりやすくストーリーとして語れるようにしておくことが重要だと思います。

 

あまり良い例が思い浮かばないので、変な事例かもしれませんが、

 

「僕は大学で一番力を入れてきたことは勉強です。土日も朝8時から夜9時まで学習室にいました。高熱が出たり、お尻におできができたりしたこともありました。それでもコツコツ机に向かいました。卒業間近になると、朝、掃除に来るおじさんと顔なじみになり、最後は就活のお守りをくれました」

 

新聞記事を読んでみてもわかりますが、ストーリーには必ず波があります。常に成功体験だけが載っているわけではありません。挫折や失敗、苦労話があって、それと向き合ってきて今があるというような流れを、エピソードベースで構成されていることが多いです。しかもそれが、具体的であればあるほど、インパクトが強いものになります。

 

経験したことは断片的にしか記憶に残っていないですが、後付けでよいので、それがうまくつながるようにストーリーを構成しておくとよいのかなと思います。

 

 

◆やれることは限られている◆

就職活動は、セミナー、筆記試験対策、エントリシートなど、あれもこれもそれもどれも、いろいろやらないといけないと思いがちですが、実は自分ができることって結構、限られていると思うんです。

 

それは、志望する会社に自分のことをできるだけわかりやすく伝えるようにすること。

 

そこには、多少の演出や工夫が必要かもしれません。でも、結局最後は、自分のことを短い時間の中でいかに理解してもらえるかということに尽きるかと思います。 

 

僕は数少ない経験から、持論しか語れませんが、就活の秘訣は3要素あると思っています。それは、情熱、努力、運。

 

情熱があれば相手に伝わるし、努力もする。努力をしていれば、運も引きつける。その結果、内定がもらえる。

 

今回は、新聞記事から就職活動を考えてみるという、少しマニアックなテーマで書いてみました。結構当たり前のことを述べているのかもしれませんが、新聞は読者にわかりやすく伝えるということに焦点を当てた商品なので、就活にも参考になるんじゃないかなと思っています。

 

僕は多くの業界を受験しているわけではないので、もしかすると参考にならない業界もあるかもしれませんが、少しでもお役に立てれば嬉しいです。

 

自らの描く幸せのために、頑張ってください。

 

それでは、お元気で。

記者がインタビュー中、頭の中で考えていること

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 この前、大学院の同級生と雑談をしていて、インタビューの話になりました。彼は先日、インタビューをしたらしいのですが、取材経験がなくてあまりうまくいかず、どうやって話を聞けばよかったのか、少し悩んでいるようでした。参考になるかなと思い、雑談がてら自分がインタビューしている時に意識していることを話しました。

これまでインタビューをするときに意識していることを言語化することはなかったので、自分自身、すごく新鮮でした。もしかすると、記者の思考は千差万別なのかもしれませんが、ここでは個人的な経験に基づいて、記事を作成するためのインタビューのコツについて考えてみたいと思います。

 

◆単に聞いているだけではない◆

記者はインタビュー中、話し手の言葉を聞き、ノートにペンを走らせているのですが、それと同時に、原稿をどう組み立てるか、何をどういう順番で聞いた方がよいか、この人の話の肝はどこか、残りの時間はどれくらいかなど、常に頭をフル回転させています。そして、頭の中で、既に多かれ少なかれ原稿を書き始めています。

話し手に完全に主導権を委ねてしまうと、話の内容が偏ったり、脱線しすぎて収拾がつかなくなったりして、あとで原稿をまとめる時に「どうしたらいいんだぁああ!」と悩んでしまいがちです。ですから、ほどよいタイミングで話し手に質問を投げかけ、対話のなかで「交通整理」しながら聞くことが重要です。そうすると、場合によっては話し手自身も気づいていなかった潜在的な心意が現れることもあります。

では、「交通整理」とは、具体的にどうすることなのでしょうか。「人に焦点を当てた記事」を書くことを前提に、インタビューをうまく構成する5つのステップを示したいと思います。

 

◆インタビューの5ステップ◆

1:テーマを明確にする

話を聞く前に、テーマを明確にします。相手が隠したい事実などを聞き出すような特殊な事情を除いて、できれば事前に話し手にテーマを提示しておいた方がよいと思います。インタビューの目的、主な質問内容、想定しているアウトプットなどを伝えておくことで、話す内容をある程度準備してもらうことができます。インタビューの冒頭にも改めて趣旨を伝えると、こちらの意図をいっそう理解してもらえます。

インタビュー中は、常にそのテーマを念頭に置いておきます。話が長くなればなるほど脱線しがちで、必要以上に話がそれたら自然な流れで本筋に戻す作業が必要になるからです。ただし、脱線の中に思わぬよい話が出てくることもあるので、「話がそれたな」と感じても、無理矢理、本筋に戻そうとせず、貪欲に聞くことも重要です。ある程度柔軟な姿勢で臨むべきかと思います。

 

2:ざっと聞く

インタビューを始めたら、まずはざっと全体の流れをおおまかに把握するように努めます。時系列で始めから終わりまで聞くことが多いですが、元々特定の期間や内容に絞っているということであれば、その部分についての概要を聞きます。細かい話は後回しです。

記者はこの段階で「2段落目」を作っています。実際の新聞記事を想像してもらえればわかりやすいですが、記事の2段落目は、大体、その人がどういう人で、どういう経歴を持っていて、今どんなことをしているのかという概要が紹介されます。2段落目を頭で構築しながら、全体を把握し、この人を掘り下げるとしたら、どのポイントにニュース価値があり、面白みがあるのかを吟味しています。

 

3:面白いと思った点を深く掘り下げる

話し手の全体像を把握したら、次はどこをポイントにするのかを決め、その点についてだけ再度深く質問します。話し手に「なぜ、なぜ」と質問を繰り返し、さらに同じ質問を違う言い方で、何度か尋ねます。反復的に聞くことで、話し手が話しながら、頭が整理されてきたり、思い出したりする可能性があるので、粘り強く聞くことが重要です。

記者はこの段階で「3段落目」を作っています。3段落目は、その人を記事で表現するために落とせないポイントや重要な事実を書くことが多いです。読み応えのある記事になるかどうかは、3段落目の内容にかかっています。原稿の「あんこ」と呼ばれる部分です。「面白い」「感動した」と思えるような言葉をいかに引き出せるかが極めて重要で、記者の感性が問われます。

  

4:テーマと面白いと思った点を結び付ける

「いい話が出てきたな」、「これは重要なポイントだな」という話が聞き出せたら、もう一工夫必要になります。記事全体に違和感なく盛り込むために、あらかじめ設定しているテーマとリンクさせる作業が必要です。そのためには、言葉を補う必要があります。

例えば、あるビジネスマンが、学生時代、海外に一人旅をし、貧富の差を目の当たりにしたという話を聞いたとします。そして、そのビジネスマンが今一番大事にしていることは「顧客満足の実現」と言ったとします。そこで記者は、ビジネスマンに「学生時代に貧富の差を目の当たりにしたときに、相手の境遇や立場に立って物事を強く考えるようになったんですかね。その経験が今の仕事で生かされていることってありますか」と、質問します。「違う。ない」と言われればそれまでですが、記者は、ビジネスマンの「学生時代の経験」と「顧客満足の実現」を「相手の立場で物事を考える」という価値観でつなごうとしているわけです。

この例は稚拙なものですが、瞬時に機転を利かせて言葉を補っていけるかということも記者の力量の一つかと思います。ともすれば、話し手本人も、記者に質問されて初めて気づく心情が表出されます。これがうまくいったら、話し手の本質的な部分が見えてきて、記事の見出しが大体想像できるようになります。

 

5:象徴的なエピソードを聞き取る

記事はニュースでありながら、読み物でもあります。アメリカの研究で、ニュースを生産する仕事の最も重要な慣習の一つは「物語性」であると指摘されています(Jacobs,1996)。 日本においても、多くの記事はナラティブな構成が意識されています。ですから、エピソードを聞くということが欠かせません。

原稿を作るときに、話し手を象徴するような出来事を盛り込む、すなわち物語ることで、臨場感が生まれ、内容に動きが出てきます。そうすると、読み手を引きつけやすくなります。温度やにおいなど、できるだけ詳細に聞けた方が、面白い読み物になります。しかし、実践してみるとわかりますが、情景が目に浮かぶまで聞き取るという作業はなかなか難しいです(それについては、こちら臨場感を持ったエピソードを聞く3つのコツ!? - ジャーナリズム×人材育成)。根気よく聞きつづけるしかありません。

象徴的なエピソードは大体、人生の谷か山に多いので、「これまで一番苦労された思い出は何ですか」「一番やりがいを感じた瞬間は」などと聞いていくことから始めるとよいと思います。

 

◆相互関係で成立するインタビュー◆

インタビューを5つのステップに分けて考えてみましたが、常に順序よくやっているわけではありません。1、2は相手との関係性や事前に把握している情報量によっても変わりますし、3、4、5はインタビュー中に行ったり来たりして、何度も頭で原稿を書き直しています。

一歩引いて考えてみると、記者は話し手が言語として表出した記号を記録しているだけではなく、コンテクストを読み取りながら、ほどよい距離感で介入していることがわかります。厳密に客観性を担保すべきだとするならば、もしかするとこの方法は、記者が主観的に型に当てはめているものだと思われるかもしれません。とはいえ、事実を事実として書くことにとどめているという点においては、客観的であるとも言えます。ニュースは、客観か主観かという議論は絶えず繰り広げられています。

ニュース論の中には、ニュースは社会的構成物であると主張する学者もいます。ニュースは、客観的事実がそのまま記述されているものではなく、組織や記者や取材対象との関係で構成されているものとしています。受け手、国家、企業などが現実を構築・構成している中で、ジャーナリズムの担い手とされるマス・メディアも事件・出来事の報道・論評・解説を行うことで現実を構築・構成しています(山口,2011)。

インタビュー一つとっても、話し手の語りを記者自身が意味を付与し、相互関係のなかでニュースは成立しているという考え方もできます。こういうことを考え出すと、報道のあり方と「真実」とは何かという深い議論になってきます。うーん、話がマニアックになっていきそう・・・。

今回は、インタビューについて考えてみました。自らの思考や行動を整理してみると、私は新聞記事というアウトプットをベースとしたインタビューの方法を知らず知らずのうちに培っていたのだなと、改めて実感させられました。

 

それではお元気で。

 

 

※参考文献

Jacobs,R.N.(1996)Producing the news, producing the crisis: Narrativity, television and news work. Media, Culture, and Society 18(3), 373-397.

山口仁(2011)「社会的世界の中の「ジャーナリズム」--構築主義的アプローチからの一考察」帝京社会学 (24), 93-117.

なぜニュースは事件や事故を報じるのか!?

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ニュースで、毎日のように取り上げられている事件・事故。人々が営みを続けている以上、大きなものから小さなものまで、日々、事件・事故は起こっています。そして、その中でごく一部だけがニュースとして報道されています。

報道機関が、ある事象をニュースとして取り上げるべきか否かを判断すること(アカデミック用語でいう「ゲートキーピング」)については、また別の機会に触れるとして、今回はそもそも、なぜ、事件や事故をニュースで取り上げるのかについて、考えてみたいと思います。

 

■ 報道機関の事件・事故報道の取り組み

私が新人記者として、ある地方支局に着任したとき、支局の上司や先輩が、歓迎会を開いてくれました。取材を終えた夜、支局の中庭でバーベキューをしてもらいました。和やかな雰囲気のなか、「さぁ、肉が焼きあがった」と思ったら、突然、警察からプレスリリースが流れてきました。

 「殺人未遂事件の発生について」

 その瞬間、すぐさま現場に急行する記者、発生現場の近隣に電話をかけて状況をつかむ記者、原稿を作り始めるデスク……。「今年の新人は事件持ちか?」などと冗談を言われながら、急にバタバタした思い出があります。締め切りが終わった頃には、肉どころか炭火すらも消えていました。報道機関は、それくらい事件・事故には敏感になって、仕事に取り組んでいます。

事件・事故に関しては、警察からプレスリリースが24時間体制で流れてきます。プレスリリースを流す基準は、各都道府県警のスタンスによってまちまちで、万引きのような軽犯罪から、殺人などの凶悪犯罪まですべてを発表する県警もあれば、ある程度選別して流してくる県警もあります。人の死に関わる大きな事案の場合には、発生段階から発表されることもありますが、基本的には被疑者(犯人)を逮捕した段階で発表されます。

警察担当の新人記者は、ルーティーン業務として、そのプレスリリースをもとに、報道担当の警察官に取材をします。直接聞ける時は、直接担当者に会い、無理な場合は電話取材をします。事案が大きければ現場に直行です。発表は多い日では10件以上になり、この取材を千本ノックのように日々繰り返されることで、新人記者は情報を聞き出すコツのようなものをつかんでいきます。

とはいっても、やみくもに取材するだけではいけません。事件・事故には必ず被害に遭っている人がいます。取材するには、相当の配慮を要しますし、報道の意義を胸に秘めていなければいけません。 以前、遺族取材について、このブログ (http://kaz-journal.hatenablog.com/entry/2015/04/28/083918)で書いたように、報道機関は、事件に巻き込まれた被害者らが「声を上げたい」、「世の中に訴えたい」と思ったとき、発信媒体として力添えできます。

また、社会をよりよい方向へ変えるための教訓として報じたり、風化させないために節目に再発防止を訴えたりするといったことが、事件・事故報道の意義として挙げられます。

もう少し視野を広げると、権力の監視という面もあります。人の身柄を拘束できるという絶大な権力を持つ警察組織に対して、適切に手続きがとられているか、常時プレッシャーを与えながら見守る役割もあります。

 

■江戸時代から事件は報道されていた

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(引用:東京大学大学院情報学環図書室webサイト・瓦版「江戸浅草 御蔵前女仇討」 )

では、いつから事件や事故の報道は行われているのでしょうか。先日、江戸東京博物館墨田区)を訪れました。当時の街並が、そのまま再現されていたり、ジオラマで表現されていたりと、一日中楽しめる仕掛けでいっぱいでしたが、私が最も興味を持ったのが、新聞の原型である「瓦版」の展示でした。

瓦版には、大地震や大火事のほか、「敵討ち」を報じたものがありました。書いている内容をすべて読み解けたわけではありませんでしたが、「なるほどなぁ、いつの時代も事件報道をやっているのだなぁ」と、感心してしまいました。

こうした歴史的観点から、事件・事故報道を捉えてみると、先程述べたジャーナリズムの意義などで語られる大義名分とは、少し違った側面があるのではないかと考えてしまいます。 

 

 ■事件事故を知るのは人間の本能

アメリカのメディア研究で、ニュースについて面白い切り口から言及されている論文があります。シラキュース大学のShoemarker(1996)教授は「人間は、本質的に恐怖や異常なものに関心を持っている。なぜなら、争い、論争、センセーショナルなこと、にぎわすこと、目立つこと、珍しいことなど、異常事態に緊急的に直面することがあるからだ」と述べています。

そして、進化論の提唱者であるDarwin(1936)の「進化」や「適応」を引き合いに出し、恐怖や異常なものへの関心は「環境の監視」であると主張します。我々の祖先は脅威に対して注意を払い、生存し、子を産み、遺伝子を次世代に継承してきました。何世代も超えて、異常との遭遇は脳内に組み込まれていて、メディアの機能によって、その意識が現出するようになったとしています。

これらの論を正とすると、事件・事故報道をする意味は、理性的な意義付けだけでなく、人間の根源的な性質に関わっていることが考えられます。おそらく、マスメディアが存在しなかった時代は、周囲で起こる不測の事態を警戒し、そして起こってしまったことから学び、生存の可能性をできるだけ高めていたのではないでしょうか。

ローカル、または個人的なレベルで「恐怖や異常なものへの遭遇経験」から得た学びをマスメディアに載せることによって、人間の叡智として広い意味での「環境の監視」を行っているのが、今の時代なのではないかなと思います。

ワンセンテンスでいうと、事件・事故を知ろうとするのは、人間の自己保存本能の一つなのではないか。従来、報道機関は、その人間の欲求に応えてきたということではないか、とも考えられます。

事件・事故報道をそう捉えると、一つのニュースを見たときに、決して対岸の火事と思うのでもなく、一過性の消費材として扱うのでもなく、自らの生きる糧とせねばなりません。

ニュースの送り手も受け手も、ときには、「そもそも論」でこうした思考を巡らせてこそ、よりよいコンテンツが増えるのではないかなと思います。

 

それでは、お元気で。

 

※参考文献

Shoemaker, P. J., & Stephen D. Reese (2013) Mediating the Message in the 21st Century A Media Sociology Perspective. New York, NY: Routledge.

 

 【ジャーナリズム人材育成論】

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文章を書くためのマインドセット

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◆文章と向き合って気付いたこと◆

時々、「文章をうまく書けないんですよ~」という声を聞きます。文章を書いたことがない人はほぼいないのに、うまく書けないのはなぜでしょうか。おそらく文章そのものの書き方を習ったり、試行錯誤して書きまくったりした機会があまりなかったからだと思います。

 

私は名文家ではありませんし、もともと幼少期からよく本を読んだり、文章を書いたりしてきたわけでもありません。ですから、文章の神髄をマスターしているわけではありません。

 

しかし、大学を卒業して、新聞社に入り、上司にぼろかすに怒られながらも、夜な夜な何度も書き直し、計2500本以上の記事を世に放ってきました。そして、転職をした現在も、毎年100ページ以上のビジネス本を複数冊、編集しています。そういったなかで、「文章って何?」ということに日々向き合ってきました。

 

文章には、細かいテクニックがいろいろとあるのですが、まずは文章を書く前に心得ておくべきことがあるように思います。

 

◆文章を書くための心得5か条◆

何かの理論に基づいているわけではなく、あくまでも実践ベースの持論ですが、ヘタクソながら、文章上達の過程で感じた心得5か条を示したいと思います。

 

その1:文章は情報を削る作業であること

 文章はゼロから埋めていく作業ではありません。もともと書くための情報を大量に蓄え、それをうまく再構築する作業です。例えば、新聞記事は取材によって情報を蓄えますが、そのうち記事になるのは、内容にもよりますが、持っている情報のうち大体2~3割でしょう。

 砂金すくいのごとく、狙いを定めてざっと情報を集め、ふるいをかける。そして、珠玉の情報だけを抽出して固める。基本的に雑味はいりません。純度が高ければ高いほど、質が高くなるわけです。良い文章を書くためには、まずは質の高い情報をたくさん集めることから始めなければなりません。

 

その2:宛先と目的を明確にすること

 最近、「プレスリリースの内容を見てほしい」という依頼を受けることがありますが、私は真っ先に「誰にどういうメッセージを届けたいのか」と尋ねます。というのは、文章の宛先と目的によって、書き方が変わるからです。上司に話す時と幼稚園児に話す時は、言葉遣いも内容も異なるでしょう。文章も同様です。極端に言えばそういうことだと思います。

 何となく大勢の人に伝える文章は、それだけふわっとした文章になります。書く前にはなるべく、どういう人を対象とするのか頭で思い描いてみることが重要です。文章を書くという作業は、自分の知識をひけらかすものではなく、読み手のレベルの水準に合わせてうまく言葉を選ぶという思いやりを届ける作業です。

 

その3:謙虚であること

 独りよがりな文章は相手の心に届かないことが多いです。文章は書き手のメッセージなので、基本的には読み手に共感や発見を求めていると思います。「俺はすごいんだ」「この意味、君は当然わかるよね」というような思いがにじみ出ているような文章は、読んでいる方からするとすごくしんどくなります。あくまでも謙虚な心で書く方が、読者は受け止めやすいです。

 細かいテクニックに入るかもしれませんが、文章は若干、自分を「ヘタレ」に描く方が伝わります。例えば、「僕は、他の追随を許さず、無敗で優勝した」と書くよりも、「僕は、毎日監督に怒られながら、練習に明け暮れた。その結果、なんとか負けずに優勝できた」と書く方が相手の共感を生む。他人と仲良くなるために、自己開示するときのステップに似ていますよね。

 

その4:感動すること

 私は、実はこれが良い文章を書くために一番必要なことだと思っています。書き手が面白いと思っていない文章は、読んだ人も面白くない。どんなに体裁が整った文章であっても、著者が思いを乗せていない文章では、人の心は動きません。

 昔、よく記者同士で飲んでいた時、自分たちが書いた記事について語り合うことがありました。ジョッキを片手に、「あの記事で一番伝えたかったのは、この1行なんだよ」とか、「あの一言で記事が締まったな」などと、酒の肴に振り返ることが多かったです。

 感動したり、驚いたり、ときには怒ったり……。たとえ論理的かつ客観的な文章が求められていたとしても、書き手の感性を文章のどこかに潜めておく必要があるように思います。あくまでも冷静に。やはり、文章は書き手の何かしらのメッセージなのです。

 

その5:いつでもどこでも書くこと

 落ち着いた場所で誰にも邪魔されずにゆっくり書ける場所じゃないと、文章は書けないというのは誤解です。今もこの文章を満員電車の中で、おじさんたちに挟まれながら書いています。確かに、多くの資料を広げてじっくりと言葉を編んでいくような論文やレポートは、ある程度広いスペースが必要かもしれません。そういった環境的な事情があるにせよ、精神まで環境に頼ってはいけません。

 速報性が求められるようなニュースの記事は主にどういうところで書かれているか知っていますか。裁判所や役所の廊下、泥まみれの災害現場、移動中のタクシーの中――――。電波が届く場所ならどこでも、集中して書く。人は、気持ち次第でそれができるのです。

 

                  ◆

 今回は、文章を書くためのマインドセットについて、自分なりにまとめてみました。先生や上司に、お前偉そうに書いてるのに、できてねーじゃねーか!と怒られそうですが(笑)。すいません、頑張ります(汗)。

 今でも、日々、唯一絶対の答えがない文章と向き合い、悩み続けています。まだまだ、うまく書ける文章の種類は少ないですし、語彙力も高くありません。さらなる熟達を目指し、精進していきます。また、新しい発見があったときは、ここに記したいと思います。

 

それではお元気で。