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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

新聞社の記者育成は、OJTという名の放置なのか!?

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だいぶご無沙汰のブログになってしまいました。修士論文の佳境を迎えています(ブログ書いてていいのか...)。

 

現在は調査報道のプロセスに関する研究をしていますが、その研究の一環で、記者にインタビューをする度に、「新人時代、育成なんてものはなかった」「放置プレーだよ、放置プレー」という声を聞きます。私自身の経験でも、新人時代、いきなり現場に行って体で覚える的な感じで、体系だった指導はなかったように思います。

 

しかし、「じゃあ、なんで新人の記者が、一人前の記者になるのか」、「なぜ、成長するのか」。最近、マスメディアの世界を離れて、周囲からそれを問われる度に、考えてきました。

 

最近思うのは、新聞社に育成はないのではなく、新聞社は育成に無自覚なのではないかってことです。

 

入社すると、「現場でつかえねーな」と思うような研修を一定受けて、地方に配属されて、いきなり警察署に放り込まれて、デスクにボロクソ怒られながら毎日の取材に奔走して、気づいたら数年経って、なんとなく記事が書けるようになっている。

 

そう説明する記者は多いです。

 

しかし、なぜ「なんとなく記事書けるようになっている」のでしょうか。

 

 

■記者の3つの学習ポイント

私は、この「はちゃめちゃ崖から突き落とし的記者養成過程」の中に、主に次の3つの学習ポイントがあるように考えています。

 

①圧倒的頻度のフィードバック

新人記者にとっての上司は、一義的には「デスク」と言われる20年くらい年上の編集者ですが、記者とデスクはほぼ毎日朝から晩までやりとりしています。記者は、現場で取材して原稿をデスクに出して、「お前、まともに取材して書いたんかぁ!」などと電話越しに怒られながら、原稿を手直しされます(怒鳴られるときは電話を耳から離します)。場合によっては、デスクから書き直し(「替えで送ってこい!」)や、補足取材(「追加で送ってこい!」)を命じられます。

 

ここで重要なのは、デスクは基本怒っているのですが、それはあくまで「原稿で対話する」ことが前提になっているということです。特に連載など長い記事は、文章力が問われます。デスクに多くの注文を受けて、やりとりを続けていると、見違えるように素晴らしい文章になることがあります。「やっぱ、デスクすごいな」と思ったことは1度や2度ではありません。例えば、この記事(http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO004219/20130105-OYT8T00111.html )の最後の一文の「すぅーと」のくだりはデスクからの提案でしたが、こうした余韻を残す些細な文章表現方法一つとっても、大変勉強になりました。

 

原稿の質に対するフィードバックが、新人なら多い日では1日原稿3~5本、少なくとも最低1本は、デスクとやりとりしているのではないでしょうか。それを1年365日やっているのですから、そら数年もすれば嫌でも書けるようになりますね。こんなに毎日、上司からフィードバックを受けられる仕事はほかにないと思われます。 教育学や経営学にはフィードバック研究というものがあります。調べていたら、中原研究室の先輩である立教大学の舘野先生のブログが見つかりました (http://www.tate-lab.net/mt/2015/11/1491.html)。私はこの勉強会に参加できませんでしたが(泣)、いかに効果的なフィードバックをするかを研究することは大変意義深いです。百戦錬磨のデスクに文章を見てもらい、良質なフィードバックを受ける機会は極めて重要なのではと思います。

 

②垂直水平的支援体制  

先輩、後輩のつながりは密接です。新人記者には、大体「キャップ」と言われる現場を統括してくれる数年年次の上の先輩記者がいます。嫌でも何でも「やれ」と言われた細かい指示を徹底してやる。「毎日持ち場によってから帰れ」、「駐車場も注意して見ておけ」。徐々に、先輩の指示の意味がわかるようになってきます。毎日、通うと些細な変化に気付くようになります。先輩の指示は昼夜を問いません。僕がキャップの時は、後輩記者と午前3、4時に電話することも少なからずありました。それだけ密な連絡のやりとりをしていると、記者としての立ち振る舞いがわかるようになってくるのです。

 

新人記者は地方に一人で配属されることが多いため、同じ会社の同期はいません。しかし、同じ境遇の新聞社やテレビ局の同業他社の同期はいます。普段から取材などで顔を合わすことが多いので、次第に仲良くなって、飲みに行くようになります。独自で進めている取材などの話はしませんが、悩みや職場の愚痴をこぼし、お互い精神的に支え合える環境があります。公私混同も甚だしい環境なので、時間を気にせず、夜中から焼き肉、朝までBARで語り合うことが少なくありません。辛くても吐き出せる仲間が近くにいるのです。

 

もう一つ特筆すべきは、よくメディア批判で聞く悪名高き「記者クラブ」の存在です。記者クラブは、学びの宝庫です。同業他社の先輩記者の振る舞い、取材手法を目にする機会が多いからです。さらに、他社の手の内を探り合いつつ、スクープを出すための駆け引きがあります。記者発表の情報は一括で記者クラブに入ってきますが、それぞれ記者が独自で動いている取材は絶対に明かしません。むしろ、スクープを出す日は、あえて暇なフリをして、気付かれないようにソファで寝たり、ざるそば食べたりします。 こうした垂直にも水平にも密接な関係性があるなかで、業務支援、精神支援を受けやすい環境があります。 

 

③学習資料のアクセスしやすさ

新人記者にとって最も有効な学習教材は、やはり新聞記事です。過去の記事を見て、うまい書き方を知ったり、今との違いを比較したりすることができます。会社や記者クラブには新聞のスクラップが全て揃っていますし、資料室に行けば、先輩記者たちの取材メモが残っていることもあります。

 

また、近年ではデータベースが充実しており、パソコンで簡単に他社の記事を含めて見る事ができます。 記者になると当たり前のことと思いがちですが、実はこういう資料を簡単にアクセスできる環境は極めて重要のように思います。アウトプットをイメージして、新聞の型を覚える事ができます。ある有名な記者にインタビューしたときは「新人の頃はよく資料室に行って、文章がうまいと言われている先輩記者の過去の記事を読みあさっていた」と言っていました。こうした充実した資料とアクセスのしやすさは学習を促す一要素になっているといえます。

 

 

■今の環境が良いわけではない

このように、新人記者にとって学びの要素は少なからずあります。これらの環境から、自発的に取材や原稿執筆スキルを獲得しているように思います。 しかし、だからといって現状維持がよいわけではないと、私は考えます。

 

このような環境は、記者の育成のために、意識的につくられているものなのでしょうか。 もし無自覚であるとするならば、こうした環境が失われていく恐れがあります。育成にムラが生じることも考えられます。

 

例えば、デスクとのやりとりに関して言えば、昔に比べるとネットを通じて原稿を出して、ネットを通じて原稿の直しが返ってくるようになりました。どこがデスクに直された部分かが瞬時にわかるようになっています。顔を突き合わせたり、言葉でやりとりしたりする機会が減っている可能性があります。

 

人員が減り続け、記者クラブで顔を合わす記者が少なくなっています。一人当たりの記者の仕事量が増え、記者クラブに滞在する先輩記者がいなくなると、観察学習の機会は減ります。

 

すべてが学習に影響を及ぼすわけではないと思いますが、効率化が求められている状況であればあるほど、学習ポイントを意識した育成をしなければ、記者は今以上に育たなくなるのではないかと危機感を覚えます。

 

そして、もう一つの問題点は、内省の機会がないことです。多忙を極める記者は、経験を振り返る時間を持つ事はあまりありません。居酒屋で先輩や同期とちょっと語り合う程度です。OJTであるならば、特に経験から学び取る必要がありますが、経験から次に向けてどうするのかを考える機会がないように思います。

 

今回は、新人記者の学習環境について考えてみました。これからの時代、ますます計画された、デザインされた学習環境を埋め込む必要があるのではないでしょうか。いい記者を育てることは、いい情報を流通させることにもつながる。私はこうした研究を続けていきたいと思っています。

 

それでは、お元気で。