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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

文章のフォークボールの投げ方!?池上彰・竹内政明著「書く力」を読みました!

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池上彰さん、竹内政明さんの対談形式で進む新書「書く力 私たちはこうして文章を磨いた」を読みました。

テレビでお馴染みの元NHK記者の池上さん、読売新聞の一面の下にある「編集手帳」を担当されている論説委員の竹内さんによる本が、朝日新聞出版から出されているというのが、大変興味深いです。

池上さんは日本で最も分かりやすく伝えるジャーナリストだと思いますし、竹内さんは、思わずうなりたくなるようなコラムを書かれる名文家として有名です。

このお二人が何をどう考え、文章をと向き合っておられるのか、その内情を知りたくて本書を手に取りました。  

 

書く力 私たちはこうして文章を磨いた (朝日新書)

書く力 私たちはこうして文章を磨いた (朝日新書)

 

 

■文章の「フォークボール」投球法
この本には、たとえて言うと、文章の「フォークボールの投げ方」が書いてありました。思わず「うまいなぁ」とつぶやいてしまう文章や、読み手の心をぐっと引きつけるような文章はどのようにして書かれているのかが、あますことなく語られています。
 
まっすぐ書かれているように見えて、ひゅっと落ちる。読んでいる人が思わずうなってしまう。そんな文章術です。
 
具体的には、文章のひねり方、引き出しの増やし方、保険のかけ方、リズムの作り方など、技巧を凝らした文章作成術が散りばめられています。
 
例えば、新入社員募集のため書かれた会社案内の一文。竹内さんの手にかかればこのようになります。

 

長野支局に赴任した。1年目の思い出が三つある。
 
善光寺が焼けた。日は暮れて、締め切りまで時間がない。現場、警察、消防と、手分けして取材に散った。僕は写真を一手に任された。撮り終えて職場に戻り、現像して呆然となった。炎上の写真がすべて真っ黒で、1枚も写っていない。「おい、あと5分で締め切りだぞ」。誰かがドアを叩いた。出たくない。このまま暗室のなかで一生暮らしたい。そう願ったのを覚えている。“燃える善光寺”の写真が載らなかったのは読売だけである。三振1。
(略)
会社を辞めもせず、辞めさせられもせず、30年後の今、こうして『入社案内』の筆を執っている。人は思うだろう。満身創痍になってでも続けたいほど、新聞づくりは面白い仕事なのか、と。あるいは、読売新聞って懐の深い会社なのね、と。どちらの感想も、そう的を外れていない。僕よりもデキる君よ。いつか、僕には縁のなかった手柄話を聴かせてくれ。4三振も5三振もして、僕の記録を塗り替える君よ。いつか、ゆっくり酒でも飲もう。

 

池上彰, 竹内政明, 2017. 書く力 私たちはこうして文章を磨いた. 朝日新聞出版. P.84-85)

 

本書でも池上さんが解説していますが、「いい会社です」と真正面から書いてしまいがちな会社案内を、失敗談から入り、控えめに書くことで、懐の深い、いい会社なんだなと認めざるを得ない書き方をしています。
 
竹内さんは、「火種をそっと差し出せば、読者がガソリンを撒いてくれる」と語っています。感情を前面に押し出してしまうと、読者が引いてしまうので、感情を8割程度に抑える。いい会社だとしぶしぶ認めているというような書き方をしているそうです。しかもその文章は、できるだけ短文かつ、それでも意味がわかるような工夫がされていて、テンポよく読めるようになっています。
 
いかに読者の感情を想像し、表現していくか。その大切さが伝わってきました。
 

■本書の内容を自分の仕事と結び付けて考える

本書で解説されているものは、基本的には、「読み物」としての文章の書き方です。おそらく素直に読めば、本書を読んで最もためになるのは、記者だと思います。
 
記者以外の多くのビジネスパーソンが、本書から学び取るには、一工夫必要のように思います。なぜなら、文章の型が全く異なるからです。ビジネス文書は、「結論—内容—具体例—付随的内容—結論」といった順序で書かれることがほとんどです。多くの場合、うなるような文章は必要ありません。
 
そこで、お二人が語っている文章スキルを抽象化するといいますか、概念化して、読み進める必要があると思います。
 
例えば、竹内さんが、いつも気をつけられていることがあります。

 

編集手帳は、どうしても寝ぼけ眼で読まれるので、目で文章を追ったときに、そのままの速度で頭に沁みこんでいくような書き方をしないと、読者は途中で読むのをやめてしまう。つまり、二度読まなくても意味が頭に張ってくるような文章の書き方をしなければいけないんです。

 

池上彰, 竹内政明, 2017. 書く力 私たちはこうして文章を磨いた. 朝日新聞出版. P.106)

 

読売新聞一面の下部にある編集手帳は、朝、頭がまだあまり働いていない状態の読者に読まれます。目で追うよりも、頭で理解する方が遅れやすいため、できるだけ短文でわかりやすく、リズミカルに書くことを意識しているそうです。

これは、ビジネスパーソンにとって企画書などで応用可能な示唆かと思います。忙しい上司を説得するには、内容を一発で理解してもらう文章を書く必要があります。

竹内さんが、そういった文章を心がけるなかで、参考にしているのは落語や講談で、伝統的に語り継がれている噺からリズムや言い回しを学ぶそうです。

文章でも口述でも、コミュニケーションには何か共通するものがあるのでしょうか。あらゆる場面で「落語を参考にしている」という言葉を聞きます。

いずれにしても、実践から語られるお二人の生きた文章術は、文章執筆の真髄のようなものが垣間見える良書だと感じました。さらに、自らの仕事に結びつけながら読むと、いっそう学びの多い読書になるかと思います。

それにしても、本書のタイトル「書く力」。なんてシンプル。「言葉の真髄」とか「文章の妙技」とか、もう少しビジネス寄りにするなら「心を動かす文章力」とか「深みのある文章術」など、いくらでも考えられたはずなのに。お二人の名前だけで、手に取られるだろうから、あまり派手なタイトルはあえて避けられたのかもしれませんね。


久しぶりに、うなってしまったオススメの一冊です。


それでは、お元気で。

間違った情報で文章を書かないために気をつけるべき5つのこと

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技術の進展とともに、年々、情報発信が身近なものとなっています。ネット空間を中心に玉石混交の情報が渦巻いているなかで、最近、DeNAの運営していたサイトなどで、誤りのある記事による情報発信が問題となりました。デジタル情報が溢れかえっていますが、その言説空間の中で、質の悪い情報を指摘するといった自浄作用が働き始めています。大変興味深い現象ですね。

 

そもそも、正しい記事というのは、どのようなものなのでしょうか。究極、突き詰めると、誰かの手によって書かれた記事は、その人によって情報が引き出され、その人の目線によって書かれたという観点からいえば、偏りがないわけではないし、何を持って正しいといえるのかも厳密にはわかりにくいものです。

 

しかし、少なくとも明らかに間違ったことを書かないようにすることは可能だと思います。 今回は、間違った情報で文章を書かないために、信頼性のある情報を集めるためには、どのようにしたらよいのかを整理したいと思います。

 

 

■信頼性が高い情報を集めるための方法

ここでは、信頼性が高い情報を集めるために気をつけるべき点を5つ述べたいと思います。

 

1.情報はまず疑ってかかる

情報と向き合う心構えとして、すべての情報に疑ってかかることが大切です。収集する情報がすべて正しいという前提でいると、当然ですが、間違いやすくなります。体裁が綺麗に整っていると、正しい情報だと思いがちです。しかし、まずは「本当にそうなのか」と、いじわるに考えることが必要だと思います。例えば、その情報は何に基づいて発信されているのか、どういう立場の人が何を意図して発信している情報なのか、を吟味することが求められます。

 

このとき、自らの常識的な感覚も大切です。極端な例ですが、「2日で50ヶ国を旅した」という情報があったとすれば、あり得ないと思うのが普通です。そうした感覚を常に持っておくことが必要かと思います。

 

2.自分の目で確かめる

もし可能なら、自分で実際に見に行ったり、やってみたりすることです。百聞は一見にしかずで、はじめから二次情報に頼らず、自分の足を使って現場を確かめれば、間違うことは極端に減ります。

 

ジャーナリズムの世界で、現場に行くことが重視されるのは、速報することや写真や映像を押さえること以外に正確な情報を知る目的もあります。ちなみに現場を見てきたままに書く記事は、「雑感」や「ルポ」といいます。

 

3.当事者や目撃者から情報を得る

自分の目で確かめることができない場合、まずは当事者や目撃者の話を聞くことに努めるべきです。会社の話であれば広報や役職者、人についての話であればその本人にアクセスすることが重要です。事件やイベントなどについて書く場合は、実際にそれを見た人に話を聞くことも大切です。

 

ジャーナリズムの世界では、ほとんどの記事で当事者への確認は行われています。さらに、発表されていないテーマで大きな影響があるような事案であればあるほど、できるだけ複数人から情報を取ることが求められます。例えば、組織の不祥事のような話の場合「何本の筋から同じ情報がとれたか」が問われます。

 

4.確度の高い情報を活用する

自分の目で確かめる現場もない、当事者へも確認できない場合、確からしいと思われる情報を使います。例えば以下のようなものが挙げられます。

 

①政府・自治体の情報
②公的文書(有価証券報告書、登記など)
③プレスリリース
④信頼性のある出版社から出た著作
⑤査読された論文
⑥新聞

 

ただし、これらの情報はすべてどこまで信頼できるのか吟味する必要があり、特に④〜⑥は、慎重に活用すべきです。このような制約下で、信頼性を担保したうえで、質の高い文章を書こうと思えば、確からしいと思われる情報源を豊富に持っていることが重要です。例えば、新聞記者は登記情報をよく活用します。土地や建物、法人の役員などから、どういう組織や人物がかかわっているのか一目瞭然だからです。しかし、まず登記という情報源を知らなければ、そういった情報は得られません。正確な情報のありかを知ることが、文章に幅を持たせることにつながります。

 

ちなみに、新聞は時々間違っていることもありますが、当事者から得た情報で書かれていることが大半ですので活用されることが少なくありません。さらに新聞社には誤報に対して厳しい風土があり、訂正を出した場合は顛末書を書かされるほど正確性に気を使っています。

 

5.引用を明示する

引用は、読者に情報の信頼性の判断を一定委ねる手法であるといえます。「◯◯によると〜」、「といわれている(◯◯参照)」などという表記をして、読み手がその情報を確認できるようにしておきます。これは文章の内容について攻撃されることがあった場合、自らの身を守ることにもつながります。

 

しかし、引用元をコピペしてはいけません。著作権法に反するので、あくまでも引用した情報を自分なりに解釈して、自らの文章を主軸として活用することが必要です。また、引用する情報の妥当性について十分吟味した上で使用せねばなりません。

 

 

■心配性であることが文章には大事!?

このように見ていくと、正確な情報で文章を書くには一定のコストがかかることがわかります。“落ちている情報”を拾い集めるだけでは、成り立たない部分も多いです。書き手が積極的に信頼性の高い情報を引き出していかなければなりません。

 

パーソナリティの特性論で、ビッグファイブと呼ばれるものがあります。リーダーや起業家らが、5つの因子(神経症傾向・外向性・開放性・誠実性・協調性)にどのような傾向があるのかという研究は少なからず行われています。

 

単なる主観的な感覚ですが、正確な情報に基づいて文章が書ける人は、神経症傾向が高いのではないかなと思っています。つまり、心配性な人ほど、きちっと文章を書いているのではないかなと。

 

慎重になりすぎるのは、よくありませんが、情報を発信するときに、読者の顔を思い浮かべながら、常に「大丈夫かな」と考えることは重要だと思います。記事の作成は思いやりを届ける作業。僕はそう思います。

 

それではお元気で。

新聞社の記者育成は、OJTという名の放置なのか!?

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だいぶご無沙汰のブログになってしまいました。修士論文の佳境を迎えています(ブログ書いてていいのか...)。

 

現在は調査報道のプロセスに関する研究をしていますが、その研究の一環で、記者にインタビューをする度に、「新人時代、育成なんてものはなかった」「放置プレーだよ、放置プレー」という声を聞きます。私自身の経験でも、新人時代、いきなり現場に行って体で覚える的な感じで、体系だった指導はなかったように思います。

 

しかし、「じゃあ、なんで新人の記者が、一人前の記者になるのか」、「なぜ、成長するのか」。最近、マスメディアの世界を離れて、周囲からそれを問われる度に、考えてきました。

 

最近思うのは、新聞社に育成はないのではなく、新聞社は育成に無自覚なのではないかってことです。

 

入社すると、「現場でつかえねーな」と思うような研修を一定受けて、地方に配属されて、いきなり警察署に放り込まれて、デスクにボロクソ怒られながら毎日の取材に奔走して、気づいたら数年経って、なんとなく記事が書けるようになっている。

 

そう説明する記者は多いです。

 

しかし、なぜ「なんとなく記事書けるようになっている」のでしょうか。

 

 

■記者の3つの学習ポイント

私は、この「はちゃめちゃ崖から突き落とし的記者養成過程」の中に、主に次の3つの学習ポイントがあるように考えています。

 

①圧倒的頻度のフィードバック

新人記者にとっての上司は、一義的には「デスク」と言われる20年くらい年上の編集者ですが、記者とデスクはほぼ毎日朝から晩までやりとりしています。記者は、現場で取材して原稿をデスクに出して、「お前、まともに取材して書いたんかぁ!」などと電話越しに怒られながら、原稿を手直しされます(怒鳴られるときは電話を耳から離します)。場合によっては、デスクから書き直し(「替えで送ってこい!」)や、補足取材(「追加で送ってこい!」)を命じられます。

 

ここで重要なのは、デスクは基本怒っているのですが、それはあくまで「原稿で対話する」ことが前提になっているということです。特に連載など長い記事は、文章力が問われます。デスクに多くの注文を受けて、やりとりを続けていると、見違えるように素晴らしい文章になることがあります。「やっぱ、デスクすごいな」と思ったことは1度や2度ではありません。例えば、この記事(http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO004219/20130105-OYT8T00111.html )の最後の一文の「すぅーと」のくだりはデスクからの提案でしたが、こうした余韻を残す些細な文章表現方法一つとっても、大変勉強になりました。

 

原稿の質に対するフィードバックが、新人なら多い日では1日原稿3~5本、少なくとも最低1本は、デスクとやりとりしているのではないでしょうか。それを1年365日やっているのですから、そら数年もすれば嫌でも書けるようになりますね。こんなに毎日、上司からフィードバックを受けられる仕事はほかにないと思われます。 教育学や経営学にはフィードバック研究というものがあります。調べていたら、中原研究室の先輩である立教大学の舘野先生のブログが見つかりました (http://www.tate-lab.net/mt/2015/11/1491.html)。私はこの勉強会に参加できませんでしたが(泣)、いかに効果的なフィードバックをするかを研究することは大変意義深いです。百戦錬磨のデスクに文章を見てもらい、良質なフィードバックを受ける機会は極めて重要なのではと思います。

 

②垂直水平的支援体制  

先輩、後輩のつながりは密接です。新人記者には、大体「キャップ」と言われる現場を統括してくれる数年年次の上の先輩記者がいます。嫌でも何でも「やれ」と言われた細かい指示を徹底してやる。「毎日持ち場によってから帰れ」、「駐車場も注意して見ておけ」。徐々に、先輩の指示の意味がわかるようになってきます。毎日、通うと些細な変化に気付くようになります。先輩の指示は昼夜を問いません。僕がキャップの時は、後輩記者と午前3、4時に電話することも少なからずありました。それだけ密な連絡のやりとりをしていると、記者としての立ち振る舞いがわかるようになってくるのです。

 

新人記者は地方に一人で配属されることが多いため、同じ会社の同期はいません。しかし、同じ境遇の新聞社やテレビ局の同業他社の同期はいます。普段から取材などで顔を合わすことが多いので、次第に仲良くなって、飲みに行くようになります。独自で進めている取材などの話はしませんが、悩みや職場の愚痴をこぼし、お互い精神的に支え合える環境があります。公私混同も甚だしい環境なので、時間を気にせず、夜中から焼き肉、朝までBARで語り合うことが少なくありません。辛くても吐き出せる仲間が近くにいるのです。

 

もう一つ特筆すべきは、よくメディア批判で聞く悪名高き「記者クラブ」の存在です。記者クラブは、学びの宝庫です。同業他社の先輩記者の振る舞い、取材手法を目にする機会が多いからです。さらに、他社の手の内を探り合いつつ、スクープを出すための駆け引きがあります。記者発表の情報は一括で記者クラブに入ってきますが、それぞれ記者が独自で動いている取材は絶対に明かしません。むしろ、スクープを出す日は、あえて暇なフリをして、気付かれないようにソファで寝たり、ざるそば食べたりします。 こうした垂直にも水平にも密接な関係性があるなかで、業務支援、精神支援を受けやすい環境があります。 

 

③学習資料のアクセスしやすさ

新人記者にとって最も有効な学習教材は、やはり新聞記事です。過去の記事を見て、うまい書き方を知ったり、今との違いを比較したりすることができます。会社や記者クラブには新聞のスクラップが全て揃っていますし、資料室に行けば、先輩記者たちの取材メモが残っていることもあります。

 

また、近年ではデータベースが充実しており、パソコンで簡単に他社の記事を含めて見る事ができます。 記者になると当たり前のことと思いがちですが、実はこういう資料を簡単にアクセスできる環境は極めて重要のように思います。アウトプットをイメージして、新聞の型を覚える事ができます。ある有名な記者にインタビューしたときは「新人の頃はよく資料室に行って、文章がうまいと言われている先輩記者の過去の記事を読みあさっていた」と言っていました。こうした充実した資料とアクセスのしやすさは学習を促す一要素になっているといえます。

 

 

■今の環境が良いわけではない

このように、新人記者にとって学びの要素は少なからずあります。これらの環境から、自発的に取材や原稿執筆スキルを獲得しているように思います。 しかし、だからといって現状維持がよいわけではないと、私は考えます。

 

このような環境は、記者の育成のために、意識的につくられているものなのでしょうか。 もし無自覚であるとするならば、こうした環境が失われていく恐れがあります。育成にムラが生じることも考えられます。

 

例えば、デスクとのやりとりに関して言えば、昔に比べるとネットを通じて原稿を出して、ネットを通じて原稿の直しが返ってくるようになりました。どこがデスクに直された部分かが瞬時にわかるようになっています。顔を突き合わせたり、言葉でやりとりしたりする機会が減っている可能性があります。

 

人員が減り続け、記者クラブで顔を合わす記者が少なくなっています。一人当たりの記者の仕事量が増え、記者クラブに滞在する先輩記者がいなくなると、観察学習の機会は減ります。

 

すべてが学習に影響を及ぼすわけではないと思いますが、効率化が求められている状況であればあるほど、学習ポイントを意識した育成をしなければ、記者は今以上に育たなくなるのではないかと危機感を覚えます。

 

そして、もう一つの問題点は、内省の機会がないことです。多忙を極める記者は、経験を振り返る時間を持つ事はあまりありません。居酒屋で先輩や同期とちょっと語り合う程度です。OJTであるならば、特に経験から学び取る必要がありますが、経験から次に向けてどうするのかを考える機会がないように思います。

 

今回は、新人記者の学習環境について考えてみました。これからの時代、ますます計画された、デザインされた学習環境を埋め込む必要があるのではないでしょうか。いい記者を育てることは、いい情報を流通させることにもつながる。私はこうした研究を続けていきたいと思っています。

 

それでは、お元気で。

新聞社はなぜ人材マネジメントの地平にのらないのか

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◆人材育成の研究が少ないマスコミ業界◆

私はジャーナリズムと人材育成の研究を始めてから、「人的資源管理」(HRM:Human resource management)や「人的資源開発」(HRD:Human resource development)といった領域のなかで、なぜマスコミ業界の企業を対象とした研究がほとんどないのだろうと、ずっと疑問に思ってきました。公共性の高い職種であっても、一部のメディアを除いてほとんどが私企業としてやっているわけで、他業界の企業の多くは研究対象として扱われているのに、不思議だなぁと。

 

私が所属している中原淳先生の研究室には、秘書、学校の先生、看護師、中堅社員、就職生、ボランティア従事者など、「人材育成」を共通点としてさまざまな職種で研究を行っている先輩方がおられますが、このなかでは記者に関する先行研究がぶっちぎりで少ないです。

 

とりわけ日本においては、採用からシニアまでのキャリア、マネジメント関連の記者を対象とした論文はほとんどありません。持論に近いような話を本で語られることはあっても、科学的に検証されていてかつ査読つき論文となると、なかなか見当たりません。(もし、そういう論文を見つけている方がおられましたら、海外文献含め、ぜひともご一報ください。切実……。)

 

マス・コミュニケーション研究に位置づけると、こうした記者や組織に関する研究は、いわゆる「送り手研究」と呼ばれるものですが、多くの研究者がこの「送り手研究」の立ち遅れを指摘しています。つまり、従来、新聞やテレビにどういう言説があるかといった内容分析、ニュースを見た人々がどのように意識を変えたのかといった受容効果研究などは比較的進められてきましたが、こうしたニュースの作り手がどのような環境下で、どういうふうにニュースを生産しているかという研究はあまりないということです。

 

私は元々、新聞社に身を置いていましたが、確かに他業界で語られる「リーダーシップ」「マネジメント」「コーチング」「創発」「エンゲージメント」といった言葉を一度たりとも聞いたことがありませんでした。報道機関は、「経営と編集の分離」を掲げているため、とりわけ記者が所属する編集部局においては、“経営的なにおい”のするものを遠ざける風潮があるのかなと思います。 最近、マスコミでない業界の人々とお話しする機会を持つなかで、新聞社の特殊性を再認識しつつあります。ここでは主に3つ取り上げたいと思います。

 

◆組織の3つの特殊性◆

①記者対組織の構図

組織を作っているのは人、つまり新聞社においては、多くは記者であるはずなのに、組織の意思決定や上司の方針にフルコミットすることを是としない雰囲気が感じ取れます。例えば、しばしば、「デスクの命令に従うばかりでなく、自分が必要だと感じた記事を出せ」「時にはデスクの指示に対して無理なものは無理と断ったらいいんだよ」というアドバイスをされることがあります。また記者の先輩が「昔、よくデスクとけんかした」と語っているのも聞いたことがあります。  確かに記者は「個」としての自律性が高い職種であることは言われており、現場では個の判断で動くことが多い仕事です。しかし、もし、記者と組織の間でコンフリクトが生じる状況であれば、やはり効率的ではない部分が生じている可能性があります。この要因としては、社会に資するためのジャーナリズムの理念と組織の持つ理念にギャップがあることが考えられます。仮に、それによって個として追求していく業務と、組織の求める業務にミスマッチが起こっているならば、記者個人にかかる負担も大きくなるのは自明です。対話を重ね、記者と組織のあり方を整理することが求められます。

 

②「生涯一記者」というキャリアパスの志向性

記者は記者でありつづけたい。記者がデスクになりたいと思っている人も少ない。多くの記者は、記者を続けたいと思っています。デスクやマネジャーになりたいと思って、記者を志す人は少ないです。しかし、他の職種を見てみると、営業の人が生涯一営業マンでやっていきたいという人は多くはないと思います。いつか、部下を統括し、マネジャーになりたいと考えている。 つまり、記者は一般企業の社員と違って、マネジメントには基本的には興味がない傾向が強いのではと思います。ですから、後輩記者のモチベーション管理や創発的なチームづくりといったことにあまり関心を持っていないし、改善しようとしている人も少ないのではないかと思います。しかし、最近はメンタルをやられる若手記者も多いので、組織として記者育成を改善する仕掛けが必要になってきているのかもしれません。

 

③職人的気質の組織風土

紛れもなく新聞社には職人的風土があります。私はそういった風土が嫌いではないのですが、あまりにも暗黙的な実践知が多いとは感じます。背中で覚えろといった雰囲気や、できるやつは勝手に伸びるといったこともよく言われます。すべてがそうではありませんが、対話やスキル伝承をあまり重要視していない。記者の情報探索や取材手法に体系だったものがありません。 これは、どういう記者が良い記者なのかということがあまり議論されていないということにも起因しているように思います。職務要件が明確化されていないのかもしれません。また、若手記者は、他社の先輩記者の行動を観察学習して、熟達していくということがよく言われますが、これから記者の人数が減っていくにつれて、そういった学習環境が淘汰されていくおそれもあります。やはり、記者の職人技をできるだけ形式知化していく必要があるように思います。

 

◆特殊性を踏まえた人材育成研究を◆

このような新聞社の特殊性があまりにも他の業界の事情と異なるため、おそらく経営学の文脈で語られる知見をそのまま当てはめるのが難しいといえるのかもしれません。しかし、だからといって、これまで連綿と続いてきた職場での人材育成に関する研究の知見を切り捨てるのは、尚早なのではと感じます。これらの特殊性を十分に踏まえたうえで、新聞社でも同様の人材育成の研究を進める必要があるように思います。

 

「情熱があって、優秀な記者が活躍できる職場とは」。「新人が優秀な記者になるためには」。

 

これらの答えを模索し続ける必要があると思うのです。

 

それではお元気で。

連休に効率よく勉強するための5つの方法

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 ◆「なんて怠惰な人間なんだ!」と後悔しないために◆

休日が近づくと、「よーし、連休に一気に勉強するぞー」なんて意気込んでみたものの、いざ連休になるとダラダラしてしまって、勉強が思うように捗らなかったという経験はありませんか。

意志が強い人なら、そんなことはないかもしれませんが、私は連休最終日になって「自分はなんて怠惰な人間なんだ!orz」とへこんでしまった経験は数知れません。

そこで、意志が弱い自分を無理なく充実した連休にするための学習のコツを考えてみました。実際に取り組んでみると、かなり充実した連休になったので、ここに記したいと思います。

 

◆うまく学習するための5つのコツ◆

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①日常の友達を誘う
「一緒に勉強合宿しない?」と、勉強しないといけないような境遇にいる友達を誘います。そうすることで、ゆるやかな監視状態を作ることができます。お互い時間を決めて学習に取り組むことで、勉強スイッチが入りやすくなります。ここでのミソは「日常」の友達を誘うことです。会っても何らテンションが変わらない友達(良い意味で)。つまり、久々に会ったり、気心が知れていなかったりする友達だと、つい長々とおしゃべりしたくなるし、厳しいことも言えなくなるからです。

 

 

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②事前に時間割を決める

まず事前に1日の学習時間を決め、いつ何をやるかを計画します。少なくとも早朝、午前、午後くらいに分けて、取り組む課題を決めておくとよいです。表にまとめて常に見えるところに置いておいてもよいかもしれません。時間割なしに始めてしまうと、全体感がわからず、結局、楽にこなせる課題だけを取り組み、やった気になってしまうからです。終わってみたら、時間がかかる作業や、難しい課題だけが残ってしまったということになりかねません。「連休こそ、普段取り組みにくい勉強をすべきだったのにしてない…」とならないよう、全体の計画を立てておくとよいです。

 

 

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③リサーチではなく読み込みを中心に

まとまった時間がとれる連休は、読み込みを中心に取り組んだ方がよいです。インターネットや図書館などで、文献のリサーチをする時間に充てると、何の成果も得られなかったということも起こり得ます。しかも、リサーチは脱線の宝庫です。インターネットでリサーチをしているつもりだったのに、気づいたらYouTubeで漫才観ていた、とか、図書館で文献探していたら、気づいたら漫画読んでいたということになりかねません。机の上でじっくり取り組める課題を行う方が得られるものは多いと思います。

 

 

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④潔く勉強をやめる
連休になると、翌日も何の予定も入っていないからと言って、夜遅くまで勉強しようと思いがちです。無理して勉強することで、その日はやった気になりますが、その分のひずみが翌日から現れます。翌日、時間割通りに勉強が進まなかったり、勉強中に寝てしまったりします。毎日こなせる分量だけを設定し、時間が来たらスパッと勉強をやめる。ちょっと物足りないくらいと思うくらいの方が、翌日の勉強も捗ります。

 

 

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⑤最終日にはご褒美を忘れずに
最終日は早めに切り上げる時間割にします。連休に勉強といっても、やっぱりちょっとは休みらしいことをしたいと思うのが人間です。最終日の夜は、楽しみになるようなイベントを入れておきます。例えば、スポーツ観戦や映画鑑賞をして、その後飲みに行くといった予定です。そうすると、最後に楽しみがあるから、勉強も頑張ろうと、モチベーションが湧きます。

 

 

◆料理の作り置き、非日常の場所も工夫の一つ◆

ほかにも、食事はなるべく初日に大量に料理を作って、作り置きしておけば、時間の節約になります。また、自宅以外の場所で勉強することで、誘惑を減らすこともできます。

意志の強い人なら、こうした工夫は必要ないのかもしれませんが、どうしたら最も効率よく学習ができるかを考えるのも重要かなと思います。うまく自分の心と向き合いながら、よい学習環境を作ってみてはいかがでしょうか。

  

それでは、お元気で。

新聞記事と就職活動は似ている!?

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◆記事と就活に共通点がある?◆

就職活動シーズンが到来しているようです。大学院の周辺では、就職の話題になることが多く、曲がりなりにも一足先に就職活動を経験した私の体験談を聞かれることが増えてきました。

 

実は私、面接で落ちたことないんです。

すいません、ウソつきました。学部生の頃、シュークリーム屋さんのバイトに応募して、面接で落ちました。見た目からしてシュークリームというより、泥だんごって感じなので、完全にミスマッチでした(汗)。

 

冗談はさておき。 

 

新卒の際の就職活動は、数社しか受験せず、しかも筆記試験で何社か落とされたので、筆記を通過した会社はすべて最終面接まで行きました(一番始めに第一希望の会社から内定をもらったので、ほかは辞退)。また、転職活動をしたときも1社のみを受験して内定をもらいました。いずれも倍率は20倍以上あったそうで、勝手に面接に強いと思い込んでいます。ほんまかいな。

 

就職活動について、科学的に実証研究をされている方がおられるなかで、私が提供できる情報、知見なんぞ皆無に等しいのですが、大学院生と雑談をする中で、「ん?自分が就活について話していることって、新聞記事を作るときと結構似ているんじゃないか」と思った瞬間がありました。

 

◆面接で意識していたこと◆

参考になるかわかりませんが、面接の際に意識していた持論を述べてみたいと思います。

 

インパクトのある見出しを作る

面接は、短時間決戦です。いかに面接官の記憶に残るように話せるかが重要だと思います。長い人生経験をぎゅっと凝縮した見出しを持っておくことで、面接官を引きつけることができます。

 

例えば、僕は転職した会社の面接で「僕の強みはコミュニケーション力です。これまで幼稚園児から大臣まで約3000人から話を聞いてきました」と述べました。幼稚園児と大臣という対極にあるような人の例を挙げて幅の広がりを出し、数字で客観的事実も提示することで説得力が増します。後に採用した人から「あの一言は、すごく印象に残っているよ」と言われました。

 

何でもよいのですが、自分にしか語れない一言を持つことが重要だと思います。新聞記事の見出しは、読者を引きつけるようなキーワードが盛り込まれています。特に人モノの記事の見出しを見ていると、結構参考になるんじゃないかなと思います。

 

 

自分のしてきたことをストーリーで語る

面接では、よくこれまで「力を入れてきたことは何か?」「成功体験は?」「挫折経験は?」などということを聞かれます。

 

自らの経験は変えることができないので、たまに「私は大したことをしてきていない」と嘆くような人がいます。奇をてらったことを無理に話そうとする人もいます。

 

僕は何をしたかということにインパクトを求めるのではなくて、その経験を通じて何を語れるかの方が大事だと考えます。自分が力を入れて取り組んできたことなら、きっと紆余曲折あったはずで、それをわかりやすくストーリーとして語れるようにしておくことが重要だと思います。

 

あまり良い例が思い浮かばないので、変な事例かもしれませんが、

 

「僕は大学で一番力を入れてきたことは勉強です。土日も朝8時から夜9時まで学習室にいました。高熱が出たり、お尻におできができたりしたこともありました。それでもコツコツ机に向かいました。卒業間近になると、朝、掃除に来るおじさんと顔なじみになり、最後は就活のお守りをくれました」

 

新聞記事を読んでみてもわかりますが、ストーリーには必ず波があります。常に成功体験だけが載っているわけではありません。挫折や失敗、苦労話があって、それと向き合ってきて今があるというような流れを、エピソードベースで構成されていることが多いです。しかもそれが、具体的であればあるほど、インパクトが強いものになります。

 

経験したことは断片的にしか記憶に残っていないですが、後付けでよいので、それがうまくつながるようにストーリーを構成しておくとよいのかなと思います。

 

 

◆やれることは限られている◆

就職活動は、セミナー、筆記試験対策、エントリシートなど、あれもこれもそれもどれも、いろいろやらないといけないと思いがちですが、実は自分ができることって結構、限られていると思うんです。

 

それは、志望する会社に自分のことをできるだけわかりやすく伝えるようにすること。

 

そこには、多少の演出や工夫が必要かもしれません。でも、結局最後は、自分のことを短い時間の中でいかに理解してもらえるかということに尽きるかと思います。 

 

僕は数少ない経験から、持論しか語れませんが、就活の秘訣は3要素あると思っています。それは、情熱、努力、運。

 

情熱があれば相手に伝わるし、努力もする。努力をしていれば、運も引きつける。その結果、内定がもらえる。

 

今回は、新聞記事から就職活動を考えてみるという、少しマニアックなテーマで書いてみました。結構当たり前のことを述べているのかもしれませんが、新聞は読者にわかりやすく伝えるということに焦点を当てた商品なので、就活にも参考になるんじゃないかなと思っています。

 

僕は多くの業界を受験しているわけではないので、もしかすると参考にならない業界もあるかもしれませんが、少しでもお役に立てれば嬉しいです。

 

自らの描く幸せのために、頑張ってください。

 

それでは、お元気で。

記者がインタビュー中、頭の中で考えていること

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 この前、大学院の同級生と雑談をしていて、インタビューの話になりました。彼は先日、インタビューをしたらしいのですが、取材経験がなくてあまりうまくいかず、どうやって話を聞けばよかったのか、少し悩んでいるようでした。参考になるかなと思い、雑談がてら自分がインタビューしている時に意識していることを話しました。

これまでインタビューをするときに意識していることを言語化することはなかったので、自分自身、すごく新鮮でした。もしかすると、記者の思考は千差万別なのかもしれませんが、ここでは個人的な経験に基づいて、記事を作成するためのインタビューのコツについて考えてみたいと思います。

 

◆単に聞いているだけではない◆

記者はインタビュー中、話し手の言葉を聞き、ノートにペンを走らせているのですが、それと同時に、原稿をどう組み立てるか、何をどういう順番で聞いた方がよいか、この人の話の肝はどこか、残りの時間はどれくらいかなど、常に頭をフル回転させています。そして、頭の中で、既に多かれ少なかれ原稿を書き始めています。

話し手に完全に主導権を委ねてしまうと、話の内容が偏ったり、脱線しすぎて収拾がつかなくなったりして、あとで原稿をまとめる時に「どうしたらいいんだぁああ!」と悩んでしまいがちです。ですから、ほどよいタイミングで話し手に質問を投げかけ、対話のなかで「交通整理」しながら聞くことが重要です。そうすると、場合によっては話し手自身も気づいていなかった潜在的な心意が現れることもあります。

では、「交通整理」とは、具体的にどうすることなのでしょうか。「人に焦点を当てた記事」を書くことを前提に、インタビューをうまく構成する5つのステップを示したいと思います。

 

◆インタビューの5ステップ◆

1:テーマを明確にする

話を聞く前に、テーマを明確にします。相手が隠したい事実などを聞き出すような特殊な事情を除いて、できれば事前に話し手にテーマを提示しておいた方がよいと思います。インタビューの目的、主な質問内容、想定しているアウトプットなどを伝えておくことで、話す内容をある程度準備してもらうことができます。インタビューの冒頭にも改めて趣旨を伝えると、こちらの意図をいっそう理解してもらえます。

インタビュー中は、常にそのテーマを念頭に置いておきます。話が長くなればなるほど脱線しがちで、必要以上に話がそれたら自然な流れで本筋に戻す作業が必要になるからです。ただし、脱線の中に思わぬよい話が出てくることもあるので、「話がそれたな」と感じても、無理矢理、本筋に戻そうとせず、貪欲に聞くことも重要です。ある程度柔軟な姿勢で臨むべきかと思います。

 

2:ざっと聞く

インタビューを始めたら、まずはざっと全体の流れをおおまかに把握するように努めます。時系列で始めから終わりまで聞くことが多いですが、元々特定の期間や内容に絞っているということであれば、その部分についての概要を聞きます。細かい話は後回しです。

記者はこの段階で「2段落目」を作っています。実際の新聞記事を想像してもらえればわかりやすいですが、記事の2段落目は、大体、その人がどういう人で、どういう経歴を持っていて、今どんなことをしているのかという概要が紹介されます。2段落目を頭で構築しながら、全体を把握し、この人を掘り下げるとしたら、どのポイントにニュース価値があり、面白みがあるのかを吟味しています。

 

3:面白いと思った点を深く掘り下げる

話し手の全体像を把握したら、次はどこをポイントにするのかを決め、その点についてだけ再度深く質問します。話し手に「なぜ、なぜ」と質問を繰り返し、さらに同じ質問を違う言い方で、何度か尋ねます。反復的に聞くことで、話し手が話しながら、頭が整理されてきたり、思い出したりする可能性があるので、粘り強く聞くことが重要です。

記者はこの段階で「3段落目」を作っています。3段落目は、その人を記事で表現するために落とせないポイントや重要な事実を書くことが多いです。読み応えのある記事になるかどうかは、3段落目の内容にかかっています。原稿の「あんこ」と呼ばれる部分です。「面白い」「感動した」と思えるような言葉をいかに引き出せるかが極めて重要で、記者の感性が問われます。

  

4:テーマと面白いと思った点を結び付ける

「いい話が出てきたな」、「これは重要なポイントだな」という話が聞き出せたら、もう一工夫必要になります。記事全体に違和感なく盛り込むために、あらかじめ設定しているテーマとリンクさせる作業が必要です。そのためには、言葉を補う必要があります。

例えば、あるビジネスマンが、学生時代、海外に一人旅をし、貧富の差を目の当たりにしたという話を聞いたとします。そして、そのビジネスマンが今一番大事にしていることは「顧客満足の実現」と言ったとします。そこで記者は、ビジネスマンに「学生時代に貧富の差を目の当たりにしたときに、相手の境遇や立場に立って物事を強く考えるようになったんですかね。その経験が今の仕事で生かされていることってありますか」と、質問します。「違う。ない」と言われればそれまでですが、記者は、ビジネスマンの「学生時代の経験」と「顧客満足の実現」を「相手の立場で物事を考える」という価値観でつなごうとしているわけです。

この例は稚拙なものですが、瞬時に機転を利かせて言葉を補っていけるかということも記者の力量の一つかと思います。ともすれば、話し手本人も、記者に質問されて初めて気づく心情が表出されます。これがうまくいったら、話し手の本質的な部分が見えてきて、記事の見出しが大体想像できるようになります。

 

5:象徴的なエピソードを聞き取る

記事はニュースでありながら、読み物でもあります。アメリカの研究で、ニュースを生産する仕事の最も重要な慣習の一つは「物語性」であると指摘されています(Jacobs,1996)。 日本においても、多くの記事はナラティブな構成が意識されています。ですから、エピソードを聞くということが欠かせません。

原稿を作るときに、話し手を象徴するような出来事を盛り込む、すなわち物語ることで、臨場感が生まれ、内容に動きが出てきます。そうすると、読み手を引きつけやすくなります。温度やにおいなど、できるだけ詳細に聞けた方が、面白い読み物になります。しかし、実践してみるとわかりますが、情景が目に浮かぶまで聞き取るという作業はなかなか難しいです(それについては、こちら臨場感を持ったエピソードを聞く3つのコツ!? - ジャーナリズム×人材育成)。根気よく聞きつづけるしかありません。

象徴的なエピソードは大体、人生の谷か山に多いので、「これまで一番苦労された思い出は何ですか」「一番やりがいを感じた瞬間は」などと聞いていくことから始めるとよいと思います。

 

◆相互関係で成立するインタビュー◆

インタビューを5つのステップに分けて考えてみましたが、常に順序よくやっているわけではありません。1、2は相手との関係性や事前に把握している情報量によっても変わりますし、3、4、5はインタビュー中に行ったり来たりして、何度も頭で原稿を書き直しています。

一歩引いて考えてみると、記者は話し手が言語として表出した記号を記録しているだけではなく、コンテクストを読み取りながら、ほどよい距離感で介入していることがわかります。厳密に客観性を担保すべきだとするならば、もしかするとこの方法は、記者が主観的に型に当てはめているものだと思われるかもしれません。とはいえ、事実を事実として書くことにとどめているという点においては、客観的であるとも言えます。ニュースは、客観か主観かという議論は絶えず繰り広げられています。

ニュース論の中には、ニュースは社会的構成物であると主張する学者もいます。ニュースは、客観的事実がそのまま記述されているものではなく、組織や記者や取材対象との関係で構成されているものとしています。受け手、国家、企業などが現実を構築・構成している中で、ジャーナリズムの担い手とされるマス・メディアも事件・出来事の報道・論評・解説を行うことで現実を構築・構成しています(山口,2011)。

インタビュー一つとっても、話し手の語りを記者自身が意味を付与し、相互関係のなかでニュースは成立しているという考え方もできます。こういうことを考え出すと、報道のあり方と「真実」とは何かという深い議論になってきます。うーん、話がマニアックになっていきそう・・・。

今回は、インタビューについて考えてみました。自らの思考や行動を整理してみると、私は新聞記事というアウトプットをベースとしたインタビューの方法を知らず知らずのうちに培っていたのだなと、改めて実感させられました。

 

それではお元気で。

 

 

※参考文献

Jacobs,R.N.(1996)Producing the news, producing the crisis: Narrativity, television and news work. Media, Culture, and Society 18(3), 373-397.

山口仁(2011)「社会的世界の中の「ジャーナリズム」--構築主義的アプローチからの一考察」帝京社会学 (24), 93-117.