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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

記者の“思考停止状態”は会社の影響なのか!?

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◼︎ビジネスで求められる主体性

最近、最先端の研修やビジネスパーソンとして備えるべきスキルについて、見たり、考えたり機会が増えました。若手であれ、部下を持つリーダーであれ、どんな階層にいる人々にも求められる力は、主体性を持って、相手を納得させられる発言をする力のように思います。とにかく主体的に考えを述べさせる。そして、多様な意見をうまく取りまとめて、何かを生み出す力を伸ばすことが強く求められていることを痛切に感じます。

 

ロジカル思考や課題発見力など、様々なスキルが重要視されていますが、結局はこういった思考を成果としてアウトプットするためには、主体的に発言し、対話する力がないといけないように感じています。これは、KKD(勘・経験・度胸)や「あうんの呼吸」が重要だと言われてきた従来のビジネス環境から、雇用形態、国籍、性別はもちろん、働くということに対する価値観すらも多様化し、きちんと筋道を立てて思考して、相手を納得させられる説明をしないと伝わらないビジネス環境に移行してきているなかで、当然のことのように思います。ちなみに、私はこういったトレーニングをあまり積んできたわけではないので、今、大いに苦労しています。

 

◼︎新聞社の職場風土はどうか

振り返ってみると、新聞社での組織内において、若手時代にあまりこういった力が求められる局面が少なかったように思います。若手記者に対して呼称される「テカ」(部下の意味)、「兵隊」(部下の意味)、「一番機」(一番初めに現場に行く人)、「コミマシーン」(聞き込みをひたすら行う人)など、今でも業界用語として使用されているこれらの言葉は、「習うより慣れよ」的な思想が含意されていて、ともすれば個々人の主体性を取り去ってしまう危険を孕んでいる組織風土があるという見方もできます。

 

ただ、全てを否定するというわけではありません。報道機関は、とにかく時間がありません。デイリーで正確かつできるだけ真意をついた情報コンテンツを提供せねばなりません。取材先にとっては新人もベテランもないわけで、一定のクオリティの記事を実践的に書かないといけません。じっくり新人との対話に時間をかける余裕がなく、理屈で理解するだけでは解決できない課題にあふれた厳しい世界です。

 

「君がデスクに返事できる言葉は『はい』か『すぐ調べます』しかない。『いいえ』や『わかりません』という言葉はない」。入社して間もなく赴任した地方支局で先輩に言われた言葉です。それだけ徹底しているがゆえに、おそらく他業種に比べて、入社から数年の成長スピードはかなり速いように思います。熟練した記者としての「型」、つまり基本動作を徹底的に叩き込まれるので、新人から「報道のプロ」への移行期間は、個人差はあれど、短いです。

 

 問題は、一定の「型」を学んだあとです。全員ではありませんが、主体性を持ったり対話をしたりするトレーニングをあまり積まなかったために、“思考停止状態”になり、報じる意義について塾考することすらもやめてしまうといった「型」に甘んじる社内外の記者をしばしば目にしました。

 

中には、上司と戦う気骨のある記者はいます。上司に現場の実態と乖離した記事内容に修正されていると、「それなら、勝手にやってくれ。署名も外してくれ」といい、真っ向から喧嘩をする様子も見ました。こういった人は、自分なりの報道姿勢を、経験を通じて培ってきたのではないかと思います。

 

どちらの人が多かったか。完全に主観ですが、残念ながら、前者のような気がします。徐々に変わってきているかもしれませんが、若手から議論をふっかけやすい職場環境ではなかったことは確かです。

 

◼︎組織が記者の主体性に影響を与える

デンマークの論文(Morten Skovsgaard,2014)で、組織がジャーナリストのプロ意識としての主体性や、上司との関係性にどれくらい影響を与えているかということを調査したものがあります。

 

約1000人の大規模な調査データをもとに、分析(重回帰分析)を行っています。「上司が求めているネタを提案する」「上司が求めているものにフィットする形で話をつくる」という複数の質問項目をまとめて(尺度構成)「上司へ合わせる」型などの独立変数を作成し、性別、学歴、実務経験、映像メディア、雑誌メディア、Webメディア別などによって影響度の違いがあるかを分析しています。同様に「上司衝突」型、「独立した裁量」などいった独立変数も用いています。

 

 デンマークのジャーナリストの話なので、日本にそのまま当てはめるべきものではありませんが、タブロイド紙や週刊誌は、ジャーナリストの独立した裁量度が低く、「上司に合わせる」型が多いなど、様々な結果が出ています。さらに、この分析で明らかになったことの一つとして、ジャーナリストの主体性は、性別、学歴などの個人的なバックグラウンドよりも、組織的文脈の方が重要であったことだと結論付けています。

 

すなわち、少なくともデンマークにおいては、記者の主体性は、個人のパーソナリティによるところよりも、組織から与えられる影響によって変動する割合が大きいということが示唆されています。

 

◼︎記者に主体的な思考は必要か

そもそも記者に主体性は必要なのでしょうか。昨今の報道機関を取り巻く外部環境を鑑みると、他業界と同様に、新しいものを生み出さないといけないことは間違いありません。むしろ、伝統メディアは、他業界以上にビジネスモデル、コンテンツ双方において頭を悩ましているかもしれません。

 

では、記者には主体性が全く備わっていないのでしょうか。実はそうとは言い切れないのではないかとも思います。記者は各持ち場において、行政や担当業界の現状を批判し、課題の解決策を思考し、記事を書いています。主体性が全くないとなると、そもそも記事は書けません。

 

ただし、それは現場レベルのみに適用されています。つまり、外向きに対して行っている思考プロセスにとどまっているように思います。役所なり、議会なり、常に現状を疑う姿勢を持っていますが、自組織にそのベクトルを向けることはあまりありません。ですから、記者が現場で培った主体性を自組織でも生かしていく、そしてさらに発言を促し対話を深める仕掛けづくりが、職場に必要になってくるのではと思います。

 

基本動作を培ったら、どんどん対話の数を増やしていく。もっと、新しいアイデアを形にする土壌を持つ。アイデアを吸い上げるだけでなく、意思決定権者と現場が、一緒にイノベーティブな企画を生み出していく。そんな風になったらいいなと思います。主体性のある思考習慣、そして発言して対話する力は、ビジネスモデルの再構築だけでなく、例えば調査報道など、高い品質のコンテンツを生み出すことにも資するように思います。

 

マスコミ職は、今でも採用試験の倍率が高く、人気職であることは間違いないですが、それでも優秀な人材を確保するためには、企業のブランディングが欠かせません。階層に応じて、明確な成長プロセスを示すことができれば、いっそうブランド力が高まるのではないでしょうか。

 

今回は、少し長くなりましたが、ビジネスで求められる主体性について、新聞社の観点から考えてみました。優秀な人も多いだけに、そういった人々がさらに力量を高められるよう、いっそう創発を促す職場になってほしいと願ってやみません。偉そうに言うだけでなく、自分も頑張らないといけないですね。

 

それでは、お元気で。

 

参考文献:Morten Skovsgaard(2014) ,Watchdogs on a leash? The impact of organisatinal constraints on journalists’ perceived professional autonomy and their relationship with superiors, theory Practice and Criticism, vol15,344-363.