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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

世の中には2つのタイプの「天才」がいる!?

取材で人の話を聞いたり、ドキュメンタリー番組を見たりしていると、最近、思うことがあります。それは、いわゆるその道の「天才」と呼ばれる人には、2つのタイプがいるのではないかということです。

 

暗黙知型「天才」◆

1:感覚が優れた暗黙知

「ここで、シュッと、そして、ここで、パッとやるんですよ」。元巨人軍の長嶋茂雄さんの指導などを思い浮かべると、わかりやすいですが、言語として精緻な表現を使わない人がいます。メキシコ五輪の時の日本代表で、史上最高のストライカーと呼ばれる釜本邦茂さんが、選手を指導される様子を取材した時も同じような感覚を覚えました。

 

この前も、世界的に有名な指揮者・小澤征爾さんが、テレビでインタビューを受けていて、一言一句は覚えていませんが、小澤さんが「楽譜からベートーベンの思いを汲み取る」というようなことをおっしゃったとき、キャスターが「私からすると、楽譜は『ド』は『ド』という音符の並びでしかないですが、どのように汲み取るのですか」などという質問を投げかけました。すると、少し黙った後、「そんなこと聞かれたことねぇなぁ」などと言って、別の話を切り出されていました。その瞬間、「この人、天才だ」と思わせられました。

 

言葉にできないけれども(もしかすると、あえてしていない部分もあるかもしれませんが)、卓越な技能を持ち合わせている。こういう人たちの感覚って、どうなっているんだろうとすごく興味を持ちます。

 

暗黙知」(Tacit Knowing)という概念があります。主観的で言語化できない知識のことで、この概念を提唱した哲学者のマイケル・ポラニーによると、「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる」(マイケル・ポラニー著、伊藤敬三訳『暗黙値の次元』2002年紀伊國屋書店P15)そうです。人の顔を何千と見分けられるが、どのようにして認知して、区別するかということを普通は語ることができないという事実を一例として挙げ、暗黙知について説明しています。

 

技能に関しても、「我々は、筋肉の個々の要素的な諸活動から、それらの諸活動が共通に奉仕している目標の実現へと、注目するのである。したがって、ふつう我々は、これらの要素的な諸活動を明確に語ることはできない」(同P24)としています。

 

つまり、優れた感覚や技能について、細部にわたっては、すべて言語として語れるものではないということです。したがって、このタイプの「天才」の卓越した技能は、暗黙知によるところが大きいのではと思います。

 

◆論理型「天才」◆

2:「全てのものに理由がある」とする論理型

一方で、「全てのものには理由がある」と、その道を理論化して極めているタイプの人がいます。

 

例えば、日本一の天ぷら職人と言われている早乙女哲哉さんは、一つの天ぷらを揚げるのに、秒刻みで調理の工程を管理しているそうです。極めて論理的に味の追究をしている人のようです。また、落語家の桂枝雀さんも、「笑い」を類型化し、論理的に検証しようとした人として有名です。

 

人が能力を高めていく過程で、経験を積み重ね、ふとした瞬間「あぁ、これってこういうことだな」みたいなコツをつかむ瞬間が、多くの人にはあると思います。論理型の天才はこの作業を、かなり意識的に行っているのかなぁなんて思います。

 

組織行動学者のデーヴィット・コルブは、「経験学習サイクル」(1984)を提唱しました。人は、「行動」—「経験」—「省察」—「概念化」というサイクルを回すことで、どんどん学びが深まっていくというものです。経験を経験としてとどめるのではなく、これはどういうことだろうと、うまくいったことと、うまくいかなかったことを振り返り、「こういうことだろう」と概念化することが重要だそうです。

 

このタイプの天才は、経験学習サイクルをがんがん回していて、概念化するのがうまい人なのかなと思います。何十年と経験を積み重ね、たくさん概念化できているから、絶妙な味や極めきった技を、論理的に説明できるのではと思います。

 

◆疑問点◆

ただ、じゃあ、言語化できていない人は、経験学習サイクルを回していないのかという疑問も残りますし、反対に、概念化できている人は本当に言語で説明できているのかという疑問もあります。そもそも、この2つのタイプの天才って、熟達のプロセスは異なるのかという問題もあります。もしかすると、全く違う考え方をあてはめないといけないのかもしれません。

 

一体、この2つのタイプの天才は、何が違って、話せたり、話せなかったりするのでしょうか。単に口下手か否かという問題ではない気がします。頭の中をのぞいてみたい>_<

 

取材やテレビで、その道を極めた人たちの話を聞く中で、何となくそんなことを考えていました。勉強不足なだけで、すでにそういった知見は生まれているかもしれません。さらに知識習得に励みたいと思います。

 

お元気で。

 

 

新聞社が求めている人材は、“記者”ではない!?

◆新聞社の採用ページから見た人物像◆

先日、大学院の同級生から「記者ってどんな仕事?」と聞かれました。一言で返すのは難しいのですが、そのときは「多分、思っているより泥臭い仕事だと思うよ」という言葉が口をついて出てきました。

 

記者って、「記す者」と書くくらいだから、文章を書く仕事のイメージが強いかもしれません。しかし、実態はどうなのでしょうか。

 

各社の採用ページで、求めている人材に関わる言葉を抜粋してみました。

 

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このように見ると、「好奇心」や「行動力」、「コミュニケーション」という言葉が目に付きますね。つまり、新聞社は、文章を書く資質のある人を求めているというよりも、取材力のある人を求めているということが分かります。

 

◆好奇心とは◆

ちょっと社交的で活発な人なら、誰にでも当てはまりそうな資質ですが、仕事で求められるレベルとなると、意外にこれが難しいのです。

 

昔、こんなことがありました。

 

県警記者クラブで雑務仕事をしていたら、広報の人がやってきて、「今度、こんなことするから取材来てよ」と、一枚のペラを渡されました。そこには、暴力団対策課が、夜にスナックやバーを回って、しめ縄を配るというものでした。暴力団は年末になると、縄張りとする地域の飲み屋に門松やしめ縄を高額に販売するという慣習があり、それを事前に食い止める策として、配って回るというのです。

 

「うーん、夜遅くの取材だし、絵にもならなさそうだし、そもそもそれ意味あるのかな……」

 

なんて思いながら、ふと横にいた他社の後輩記者を見ると、目をキラキラと輝かせて「辻さん、これおもしろくないっすかー?めちゃくちゃおもしろいじゃないですかー?県警がしめ縄配るんですよー?」と。

 

Σ(゚д゚;) 

 

「すごい。好奇心が半端ない」

 

結局、僕も取材に行き、記事を書きましたが、彼は必死に全国面に載るようにデスクと交渉していました。

 

このように、好奇心一つとっても、なかなか奥が深そうです。

 

◆昔、「記者」は取材をしていなかった◆

そもそも、大正期ごろまでは、文章を書く人と取材する人は、職種が別れていました。文章を書く人を「記者」、取材をする人を「探訪」と呼んでいました。

 

探訪は「古い時期には、御家人くずれ、町内の口きき、刑事の古手などが含まれた。文字を知らない者は、内勤の記者に報告して記事を書いてもらっていた。つまり無学の者が多かった」「記者と探訪者の違いについて、長谷川如是閑は『庶民一般は政談演説でもなければ新聞記者には接しなかった。庶民と接していたのは探訪人だけだ。上のほうの記者は恐れられていたというより尊敬を受けていたが、探訪人は、民間からはバカにされていたものだ』と回想している」(河崎吉紀著『制度化される新聞記者-その学歴・採用・資格』2006年柏書房p20)と研究者の本の中では説明されています。

 

その後、報道のニーズが高まり、記者が取材、探訪者が文字を書くようになって両者の違いはなくなったということです。

 

現在、記者の中でも、担当によってはほとんど記事を書かず、情報をとってきて、メモにするということを毎日している人もいます。これはまさに「探訪」的な仕事で、「記者」的要素は低いように思います。

 

しかし、今、「記者」という言葉だけ残っているのは、あくまで個人的な推察ですが、もともと尊敬されていた「記者」という呼称に統一することによって、職業的地位を上げたかったという意図があったのではないでしょうか。

 

◆「探訪者」的要素の強い現在の記者◆

新聞社の求める人材についての話に戻りますが、現在、新聞社が記者として求める人物像は「探訪者」的要素が強いです。「記者」的要素は企業内で十分鍛えられると考えているのでしょう。

 

逆に言えば、取材力は個人の資質にゆだねている部分が多いということです。僕は、主にそこに着目した研究をしたいと考えています。

 

例えば、新聞社が考える「好奇心」「行動力」「コミュニケーション」という資質はどんな成果に、どう結び付いているのか。これらを因子とした分析ができれば、面白いなと思います。

 

しめ縄を面白いと思ったら、良い記事が書けるのかなぁ、うーん。難しい……。

 

 【ジャーナリズム人材育成論】

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記者はプレスリリースのどこに注目しているのか。

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◆プレスリリースを読み込むことはない◆

先日、公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」(https://cfc.or.jp/)が、被災地の家庭の状況をアンケート調査した結果を、報道関係者らに発表したいとのことで、プレスリリースの作成をお手伝いをさせていただきました。

 

発表当日は大盛況で、大手紙にも取り上げられたようで、少しでもお力添えできたのなら、よかったと喜んでいるところです。内容の詳細はこちら(https://cfc.or.jp/archives/event/2015/03/10/8748/)。

 

さて、プレスリリースを書くにあたっては、どんな点に気をつければよいのでしょうか。

 

プレスリリースは、都市部になればなるほど、毎日、記者のもとへ大量に届きます。大量の資料を隅から隅まで読み込む時間はないため、さっと目を通してほとんど捨ててしまいます。

 

プレスリリースを出す方は、当然、記事として取り上げてもらいたいわけですから、記者を「おっ」と思わせるポイントを仕込んでおく必要があります。

 

例えば、一般紙を対象とした場合、プレスリリースの内容については、以下のような工夫すべきポイントが考えられます。

 

 

◆プレスリリースを書く上でのポイント◆ 

1:プレスリリースには記事に必要な最低限の情報は載せる
「いつ、どこで、だれが、なにを、どうする。その目的は……」。というのをストーリー性を持たせておもしろく、わかりやすく、端的に書いておく。写真として見栄えがするかどうかも伝えた方がよいです。また、情報にアクセスしやすいように、担当者の携帯や、つながりやすい連絡先があればなおよいと思います。とにかくすぐに原稿が書きやすい体制を整えておく必要があります。

 

2:公益性の高いものにする
一企業の私利私欲感が出ると、一気にトーンダウンします。社会性のある要素を作る必要があります。ボランティアで○○するとか、無償で○○を提供するなど。また、特定の業界の人だけでなく、広く一般の人が関心のあるような内容にすることも重要です。NPOの活動が記事になりやすいのは、公益性が高いからです。

 

3:「○○初」「○○で一番」「最大級の○○」という言葉をつける
「一番」は、「日本で一番」だけではありません。関東で一番、県内で一番、今年一番でもよいです。何かしらの一番を見つけることが大切です。ほかにも、業界初の○○を開発した、日本では戦後初めてなどでもよいです。ちょっとあおり気味でも、キャッチーな部分を見つけ出すことで、記者はとりあえずどんなものなのか聞きにくると思います。


4:全国的にネームバリューの高いものに引っ掛けた企画を考える。
東京ならスカイツリー、雷門、京都だったら清水寺、舞子さんなど、全国の誰しもが知っているものに関連した内容にすると記事になりやすいです。古来の祇園祭を○○で再現しましたというような、直接、有名なものとコラボしなくても、有名な名前が使えるようにすることが重要です。


さらに、売り込み方も時と場合によって、工夫すべきポイントがあるように思います。あくまでも、イレギュラーテクニックですが、次の2点が考えられます。

 

◆イレギュラーテクニック◆

1:いいネタなので、とにかくどでかく行きたい!という場合
信頼できるクレバーな記者がいれば、公式リリースより先に伝える。「まだほかの誰にも言ってないんですが……」という言葉は、記者を大きく引きつけます。お互いの立場があるので、なかなか難しいですが、妥協点を模索してリリースすることで予想以上に大きく扱ってもらえることがあるでしょう。


2:とにかく地域面のベタ記事でもいいから、記事としてねじ込みたい!という場合
懇意にしている記者に頼み込む。「これだけは載せないと社長のメンツが……」、「先方との兼ね合いとかでどうしても記事にしたいのだれけど……」という場合があったら、「地域面の2面でいいから載せてほしいんです」とお願いすれば、良い記者なら載せてくれるかもしれません。


記事は、記者が載せるかどうかを判断できるわけではありません。当然、上司がいて、さらに上の上司がいて、という具合に意思決定権ははるか遠くにあります。

 

第1フィルターとして現場に存在するのが記者。彼らが上司に真っ先に聞かれるのは「それ、おもしろいの?」「それ、珍しいの?」「他社は知っているの?」です。


記者も、自らの業績を上げるため、大きな記事を書きたいと思っているので、うまい売り込み方を考えています。すでにプレスリリースに、売り込みやすいポイントが載っていたら、当然使いたくなります。

 

私はこれまでの経験で、最強の広報に出会ったことがあります。プレスリリースには、すでに記事スタイルで文章が載っていて、現場の写真もデータで提供されます。しかも、社によって若干構図の違う写真を用意してくれるという配慮までされているのです。また、ネタがなくて困っているときは、全力で調べてくれて、取材のアポまで手助けしてくれる始末です。

 

そういう広報に出会うと、いつもお世話になっているから、いつか恩返ししようと思うのが人間。最後は、プレスリリースを出す側と出される側の人間関係ってことですね。

 

今日は、プレスリリースについて考えてみました。何かを伝えたい時は、相手の立場に立って考える。これはどんな文章でも、同じことが言えると思います。

 

お元気で。

新聞を使って文章力を伸ばすには、コラムよりもベタ記事!?

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◆コラムの書き写しは効果があるのか?◆

 

文章力を高めるには、どうしたらいいの?という質問を受けるときがあります。

 

細かい文章のスキルはいろいろあるのですが、まずは、大前提として、文章は「情報を削る作業である」という認識を持つことが大切かと思います。書くことがはっきりしていないのに、よい内容の文章を書く事は難しいでしょう。書きたい事についての情報を、的確に集める事からスタートすべきかと思います。

 

新聞記事は、実際に取材して聞いてきた情報が10とすれば、大体2〜3の内容しか書かれていないことが多いです。「おいしい」情報をぎゅっと凝縮して書かれているわけです。

 

新聞を使った文章のトレーニングとしては、よく一面の下にあるコラムを書き写しましょうということが言われます。コラムというのは、朝日新聞であれば「天声人語」、産經新聞であれば「産経抄」、毎日新聞であれば「余録」、読売新聞であれば「編集手帳」、日経新聞であれば「春秋」というタイトルがつけられている欄です。

 

これらのコラム欄は、新聞社で最も筆力のある「名文家」と言われる記者が書いています。少ない文字数のなかで、日々、起こる出来事を、文学や別の事象を引き合いに出しながら、うまくオチをつける極めて優れた文章です。

 

ちなみに、読売新聞の「編集手帳」は、段落を分けるときに改行するスペースがないため、ひし形(◆)で段落を変えています。ひし形とひし形の間の中心で折り曲げると、ひし形がぴったりと重なり合うときは、ある一人の記者が書いています。署名としての役割を果たしているんですね。

 

さて、これらのコラムを書き写す事で、文章が本当にうまくなるのでしょうか。

 

私の意見としては、コラムを書き写すのは、

 

プロ野球の投手がフォークボールを投げるのを見て、「さぁ、あなたも同じフォームを真似して、フォークボールを投げてみましょう」

 

と言われているようなものだと思っています。

 

確かに、文章の「本物」に触れ、実際に書く事で、より深く味わうことができるため、全く意味がないとは思いません。また、ある程度文章の構造が理解でき、文章力が備わっている人なら、練習になるかもしれません。

 

しかし、そうでない人であれば、もっと練習になる記事が、ほかにあるのではと思います。

 

その記事とは、地域面のベタ記事です。

 

◆効果的な練習法は、ベタ記事を分解してみること◆

 

ベタ記事というのは、見出しと本文が1段のみで簡潔している短い記事です。トップ記事であれば、見出しを3段くらい使って大きく扱いますが、それほどニュース性がない場合は、ベタ記事になります。

 

さらに、地域面のベタ記事は、主に駆け出し記者が書いています。

 

つまり、文章力が一人前になりきっていない記者が、必死で書いている記事なのです。

 

余計な工夫を凝らす力もスペースもない。だからこそ、必要不可欠な情報ばかりがぎっしりと詰まっています。

 

例えば、事件の記事であれば、

 

 女性の自転車の前かごからバッグを盗んだとして、○○署は9日、東京都○区、無職○○容疑者(25)を強盗容疑で逮捕した。○○容疑者は「覚えがない」と容疑を否認している。

 発表によると、○容疑者は、9日午後6時25分頃、○区の路上で、同区の主婦(50)が乗っていた自転車の前かごから、財布などが入ったバッグ(3万円相当)を奪った疑い。

 

といった記事があった場合、この記事を成立させるために、聞かなければいけないのは、

 

  • 逮捕はどこの署がした?
  • 誰を(住所、名前、職業、年齢、生年月日)?
  • いつ逮捕?
  • 容疑名は?
  • 身柄は容疑者でいいのか?
  • 通常逮捕?
  • 容疑を認めている?否認している?
  • 容疑者は何と言っている?
  • 逮捕事実は?(誰が、日時、どこで、何を、どのように奪ったか、なぜ奪ったか)
  • 被害品は(バッグの中身も)?
  • 被害金額は?
  • 被害者について(住所、職業、年齢、生年月日)?

 

という情報が最低限、必要です。

 

ほかにも、実際に聞くときは、

 

  • 被害者はけがをしているのか?
  • 余罪はありそうか?
  • どうやって逮捕されたか?
  • 近隣で同様の被害はあるのか?
  • 主婦はどこからどこへ向かっていたのか?
  • 容疑者は有名人や公人ではないか?
  • 同じ手口の被害は増えているのか?

 

 

などといったことも必要かもしれません。

 

 

ベタ記事を書くために、聞くべき必要な情報は何かということを、記事を分解してリストアップしてみる。さらに、自分だったら、追加で何を聞いてみるだろうかと考えてみると、的確な情報を集めるスキルが上がっていくように思います。また、記事を分解することで、文章全体の構造も理解できるようになります。

 

本日は、新聞を活用した文章力トレーニングについて考えてみました。いざ書きたい事が思い浮かんでも、文章を書くにあたって、どういう情報が必要かわからないと、深い文章は書けません。記事を分解しながら、記者がどういう取材をして記事を書いたのか、疑似体験してみると、うまく情報が集められるようになるかもしれませんね。

 

お元気で。

 

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記事の上達プロセスは、料理の上達プロセスと似ている!?

◆「ライティングマシーン」になって思った◆

 

今日からあなたは記者です。さぁ、明日載る記事を書いてください!

 

と言われたらどうしますか?

 

そもそも何書いているのかよくわからない記事もあるし、何がニュースになるのかもわからないし、そもそもニュースばりゅーって何?

 

そんなふうに思う人もいるかもしれません。

 

新人記者は、少なからずこのような戸惑いの状態からスタートします。

 

 

記者のイメージって、昔から本をよく読んでいて、社会問題に興味があって、「昔から文章うまかったんでしょう」と思っている人もいるかもしれません。

 

しかし、実際はそうではありません。かくいう私は、高校時代まで部活に明け暮れ、本なんてまともに読んでいなかったし、夏休みの宿題だった作文も本をそのまま写しているようなバカ学生の典型でした。大学では、文章よりも映像に興味があったので、記者になるまで本格的な文章を記者に書いてきませんでした。

 

記者時代は、ずいぶんしごかれました。昼夜、場所問わず、ひたすら原稿と向き合う「ライティングマシーン」でした。そういう状況の中で、入社3年目くらいで、ふと思ったのです。

 

「記者がまともな記事をかけるプロセスって、料理ができるようになるプロセスと似ているんじゃないか」。

 

 

◆料理のプロセスから見る記事上達の段階◆

理論として確立されているものではなく、あくまで個人的な感覚ですが、段階別に見ていきます。

 

 

①レシピを見て具材を探して料理を作る

まず記者になって原稿を書けと言われても、どうやって書いたらいいのかわかりません。そういう時は、取材に行く前に、類似の内容の過去記事を片っ端から引っ張ります。いわゆるレシピです。まず、過去記事を見て、取材で最低限どういう情報を聞いてくればよいのか、記事を構成している情報の要素を分解して、リストアップするのです。

 

②レシピを見ずに具材を探して料理を作る

過去記事をみて、必要な情報を把握して、取材して原稿を書くということを繰り返していると、だんだん記事で必要な情報が何なのかがわかってきて、頭で原稿が作れるようになります。つまり、レシピを見ずに料理が作れるようになる感覚です。

 

③料理に自分なりのスパイスを加える

ほとんど何もみないで、それなりの記事が書けるようになれば、味わいを出したいという欲望にかられます。取材で聞いてきた情報の中で、どこに面白みがあるのか、核心的な部分はどこなのかを探り当てようとします。この段階では、頭で余裕を持って原稿が描けるような状態になっています。「短い原稿だけど、この一言は、記事の深みを出すな」、「この一文は文章が締まるな」などというスパイスが入れられないかを、こだわって書くようになります。

 

④残り物だけで料理を作る

取材をしていると、必要な情報はわかっているけど、その情報が取れないということがあります。そういう場合は、集めることができた情報だけで、記事として成り立つように書きます。寄せ集めの具材で料理を作るということに似ています。

 

⑤残り物で“おいしい”料理を作る

記者の世界では「こする」や「ふくらませる」といいますが、ほとんど情報がないのに、ニュースバリューを模索して書くという技術があります。「平成以降最大」「県内初」などと、あらゆる視点から情報を捉え直し、読者を引きつけるのです。料理名人が「家庭にある具材でも、作り方を変えると、高級スープが作れます」と言っているような感じです。

 

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このように、個人差こそあれ、誰しも料理ができるようになるのと同様に、記事も一定のレベルは書けるようになります。しかも、どんどん書くスピードが速まっていきます。取材をしながら頭で原稿を描き、パソコンに向かうときには原稿がほとんど固まっているからです。

 

ただし、これはあくまで、私が新人時代に一定の記事が書けるようになったと、実感したころまでの話です。

 

記事を書くにあたって、核心に迫れているのか、論点はぶれていないのか、面白みはどこか、読み手の感情を揺さぶることができるのか、など考える事は多分にあります。「おいしい料理」の唯一絶対の答えはないように思います。

 

そういう意味で、私は、まだまだ記事作成の深みの部分まで到達できていなかったのかもしれません。

 

熟練のデスクらが、原稿の締め切りギリギリまで「あーだ、こーだ」と言いながら、腕を組んで、頭をひねっている姿を思い出します。文章を書くって、それほど奥深いものなのかもしれません。

 

今日は、どうやって記事が書けるようになるのかということに、焦点を当てました。でも、実は記者が工夫できるのは、記事を書く時よりも、取材をする時にあるのではないかと思っています。それはまた次の機会に。

 

お元気で。

「良い記者ってどんな能力があるの?」を追究します。ブログ始めました。

◆ネタをつかむために記者がやっていること◆

数年前、僕は毎晩、住宅街の片隅に立っていました。大体2〜3時間、じっと立って、取材先の帰りを待ちます。いわゆる「夜回り(夜討ち)」という、記者の仕事の一つです。

 

「何時やと思ってるんや!帰れ!」。そんな言葉を浴びせられる事も多いです。「なんでこんなことやっているんだろう……」。非常識なことをやっていることを自認しつつ、若手の記者は日々、悩みながら情報を集めることに奔走しています。

 

砂利の中から砂金をすくうような作業から、ニュースは生まれます。ネタをつかんだ時、足を使って一次情報をつかむ作業がどれだけ大切なことかを痛感するのです。本にもネットにも載っていない情報。伝えなければならない情報が、世の中にはたくさん眠っています。

 

一方で、効率が悪いし、合理的ではない側面が本当に多いと感じました。手当たり次第、情報がありそうなところを回り続けたり、何時間も待ったりする業務も少なくありません。でも、きっとここには、最短距離で情報をつかむため、記者それぞれが生み出した独自の工夫があるように思います。

 

◆特ダネ記者とそうでない記者の差って何なのだろう?◆ 

多くの特ダネ記事を書く記者もいれば、そうでない記者もいる。この差は何なのでしょうか。当然、元々持っている資質の差もあるでしょうし、さらに情報に対するアプローチの方法も異なるように思います。

 

うまくネタがとれず、記事が書けなかった時、「僕たちこんなに努力しているのに、なんでこんなことになるんですかね」と、後輩記者から涙ながらに電話を受けたことがありました。僕は後輩を慰める事しかできず、恥ずかしい思いをしました。

 

「こういう能力が必要だよ」とか、「こういうスキルを磨く必要があるね」という客観的かつ妥当なアドバイスができれば、情熱を持った記者はもっと成長するはずだと思います。ひいては、良い記事が出る頻度が上がり、日本のジャーナリズムの質は上がるのではと思います。

 

メディアスクラムや剽窃記事、捏造記事など、メディアの質について疑問視される声は多いですが、一方で素晴らしい記者もたくさんいます。僕は、良い記者の持ち合わせているスキルや、言葉に表せない「暗黙知」レベルでやっている工夫の共通点を、研究を通じて明らかにしていきたいと考えています。

 

このブログは、研究の中での学びを整理し、アウトプットするために開設しました。まずは、ゆっくりと薄らいできている記者時代の経験を改めて思い返し、棚卸しすることから始めたいと思います。