ジャーナリズム×人材育成

「良い記事が書ける能力とは」。記者の人材開発について研究しています。

スクープを出す前夜に思うこと

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◆スクープとは◆

スクープといえば、世間に知られていない注目すべきニュースをいち早くつかみ、大きな見出しを付けて大々的に報じるというイメージがあります。時には、多くのメディアが追いかけて報道し、ウェブだとバズったり、週刊誌だと完売したりと、国や自治体を動かすほどの爆発力を持つこともあります。一時期「文春砲」という言葉も流行りましたね。

 

スクープは、どのようにして生まれるのでしょうか。私の経験や研究からすると、きっかけはさまざまです。情報提供、いわゆるタレコミ、記者の取材の中での違和感、資料の読み込み・・・・・・、あらゆるところにネタは眠っています。

 

マスコミ業界では「端緒」と呼びますが、それをつかむことが最も重要だといわれます。ただし、いくらきっかけをつかんだとしても、報道までこぎつけるには多くの関門が存在し、ここには記者の相当な個人技ないしチームワークが求められます。

 

取材で9割までファクトを積み重ねられても、あとの1割がどうしても詰めることができない。そして、ボツになってしまうネタがほとんどです。

 

そんななかで、苦労してスクープを報じるまでこぎつけ、翌日報道することが決まった前夜、記者たちは何を思うのでしょうか。

 

 

◆初めて知る「怖さ」◆

「他社にはどこにも載っていないってよ。よかったな」。入社して1年半が経った頃、私が初めてスクープと呼べる事件記事を書いたとき、デスクにそう言って肩をたたいてもらった記憶があります。

 

確かに報われる気持ちもあり、嬉しかった記憶があります。しかし、それ以上に迫ってきた感情が「怖さ」でした。

 

大丈夫だろうか、本当に間違っていないだろうか、誰かに迷惑がかからないだろうか、どんな影響が出るのだろうか。

 

当時はこのような気持ちが芽生えるのは予想外で、自分の感情に驚きました。

 

基本的にスクープは、公式な発表に基づいて報じるものではありません。本人、もしくは立場のある人、責任者、客観的な証拠などから裏付けをとり、限りなく100%近い確度をもって報じます。しかし、どこまでいっても、限りなく100%近い形なのです。

 

しかも、スクープを出せば続報を求められるのが常なので、次の展開はどうしよう、明日からどう動こう、取材応じてもらえるかな、などといったことも考えねばなりません。喜びに浸っている余裕はありません。

 

本当に少し気持ちが楽になるのは、一連の報道が終結を迎えて、世の中が少し良い方向に向いたかもしれないと思えた時でした。

 

 

◆爆発力をかみしめて◆

最も大きな影響を持つ報道形態としては調査報道があります。社会に存在する不正や腐敗を独自の取材で暴いていくスタイルの報道です。

 

研究の一環で、調査報道によって新聞協会賞を受賞した記者にインタビューをさせてもらった時の言葉が印象的でした。

 

「手放しで、笑顔で喜べる話でもないですよね」。

 

正義は一つではない。片方の正義を立てれば、もう一方の正義は失脚する。正義と正義の相克の狭間で、記者は常に葛藤に苛まれています。

 

スクープではありませんが、私は記事を出す中で、苦情を受けたこともあります。

 

全然ダメな記事だね、何であんなふうに報じたの、あの記事のせいで迷惑している。

 

直接言葉を浴びせられると、やはり辛いものがあります。

 

しかし、こういう声を受け止め、常に怖さを抱えることはある意味、健全なことなのかもしれません。おごりやプライドで筆を滑らせることがあってはいけません。

 

報じた後の爆発力を知るからこそ、慎重を期す。それが送り手に求められる一つの姿勢であると思います。

 

今回は、スクープ前夜の気持ちを振り返り、送り手が抱く怖さについて考えてみました。

 

SNSで何気なく発信することも、大きな影響を持つことがありますね。誰でも発信できる時代だからこそ、どんな人にも慎重さは、ある程度求められるのではないかと思います。

 

それでは、お元気で。

 

 【ジャーナリズム人材育成論】

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【ワークショップの参加者募集中!】記者職内定者対象「記者の学びを語り合う理論と実践のワークショップ」を開催させていただきます!

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日時:2018年3月18日(日)13時半~17時半

場所:早稲田大学大隈記念タワー(26号館)501教室

参加費:無料

対象者:今年4月から記者になる方

定員:20名(定員になり次第、締め切り)

申し込み:以下のURLにアクセスし、申し込みフォームに記入して送信してください。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScrzlmXPhesgZO325Xjil595AqsZXhBzxA41FMDdaUOpOEzrg/viewform

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2018年3月18日(日)に、

「記者の学びを語り合う理論と実践のワークショップ」と題してイベントを開催させていただきます。

 

多くの大学4年生ないし大学院2年生は、もうすぐ入社ですね。不安と期待が入り交じる季節に差し掛かりつつあります。

 

・一人前になるということはどういうことか

・職場で学んでいくということはどういうことか

・どんな苦労が待っているのか

・先輩たちは修羅場をどのように切り抜けてきたのか

・優秀な記者はなぜ優秀なのか

 

きっとこのようなものに似た疑問をお持ちなのではと思います。

 

近年は、研修イベントを企画する部署ができた会社もあり、入社すると少なからず研修を受けるかと思います。それはそれで必要ですが、私は少し違った立場から、視点から「刺さる」知恵をご提供したいと考えています。

 

それは、「学習とはなんぞや」、「組織とはなんぞや」といった経営学の領域で、実証的に提唱された理論をご紹介しつつ、若干のアカデミックフレーバーを散りばめながら、手と頭と口を動かしながら学んでいただけたらと思っています。

 

 

私は、これから記者になるみなさんに、「役立つ知恵」をお渡ししたいとかねてからずっと思い続けてきました。

 

正直に言います。新人記者の時代は、苦労します。まぁ、どんな会社に入っても大体はそうだろうけど。

 

かくいう私も新人記者の時代がありました。警察署に取材に行くと、誰に声をかけていいのかもわからず、思い切って捜査員に声をかけるとしっしとあしらわれ、先輩記者たちも「とりあえずやってみろ」と言ってほとんど何も教えてもらえず、朝から晩まで走り回るといったところからスタートしました。

 

「新人は変に色がついていない方がいい」。この真っ白なキャンバス言説は、未だに残っていると思います。確かに、記者は往々にして突破力が必要な局面が多く、知識が先行して二の足を踏むようでは成長を阻害しかねないというのもわかります。しかし、人員削減で地方支局が疲弊し、近くに見て学ぶ先輩の姿も少なくなり、めまぐるしくメディア業界の情勢が変わっていく今の時代には、じっくり手間ひまをかけて育てていくシステムが崩壊しつつあるのではないでしょうか。そう、無駄に苦労している暇はない。さっさと一人前になってくれ。現場からはそんな声が聞こえてきます。

 

私は、記者の人材育成の研究を始めてから、何人もの記者やジャーナリズム関係者に会ってきました。これは記者の一つの特徴かもしれませんが、インタビューを断られたことは一度もありません。何なら、インタビューが終わったら、大体飲みに連れていってくれました。(笑)

 

あぁ、これは次世代に「生きた知恵」をバトンタッチする役割を任せられているんだなぁと思いました。

 

そこで、今年4月から記者職に就くみなさんを対象に、できるだけ体系立てて「記者の学び」をお伝えし、考えてもらう機会を持とうと思ったわけです。初の試みです。それこそ、私が真っ白なキャンバス状態です。(汗)

 

みなさんで楽しく話し合えたらと思います。入社直前のお忙しい時期で恐縮ですが、ご興味のある方はぜひお越し下さい。また、ご興味のありそうな方がおられたら、お知らせいただけますと幸いです。

 

 

ワークショップ内容概要(一部変更となる可能性がございます)

1.OJTでどうやって学ぶの? :経験から学ぶ方法とインタビュー演習

2.仕事の悩みってどんなものがあるの?:現場や職場での葛藤をケーススタディで議論

3.先輩記者たちがやっている取材のコツって何?:ヒアリングから見えるTipsを紹介

4.どんな記者になりたいか、身につけるべき技能は何かを考えてみよう。

 

ファシリテーター:辻和洋(つじかずひろ)

読売新聞大阪本社社会部記者。科捜研鑑定資料ねつ造事件や公立高校PTA会費流用問題などをスクープ。東日本大震災大阪取材班第1陣として発災翌日から宮城県入り。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。現在は、記者や学校教員など、専門職人材の育成、マネジメントを研究。早稲田大学ジャーナリズム研究所「ワセダクロニクル」シニアリサーチャー。公益社団法人「Chance for Children」メディアディレクター。著書「人材開発研究大全」(共著)。

 

※このワークショップは、人材育成の理論に基づいて構成しています。

1. OJTが主とされる職場環境において、個人による技能習得の学習方法の枠組みを、インタビュー演習などを通じて体感する。コルブの経験学習サイクルによる学習効果の理解を意図する。

2. 組織への定着化を促すことを狙いとして、入社後に起こるであろう悩み、葛藤をケーススタディーとして取り上げ、議論する。ワナウスのリアリスティックジョブプレビュー(RJP)におけるワクチン効果を意図する。

3. インタビュー調査や文献調査を元に、理論では網羅しきれない記者の実践知を言語化して紹介する。学習転移による職場での早期技能習得を意図する。

 

日本人はニュースに対して受身な国!?

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 ◆ニュースは双方向で議論されているか

IT技術の進展により、誰もが情報の発信者になれると言われて久しくなりました。手軽に機材やソフトが手に入るようになり、技術さえあれば、プログラミングをしてサイトを開設し、記事や動画を編集し、インターネットに載せて発信することが、目新しいことではなくなりました。

 

このような環境の変化によって、情報の送り手、受け手という言葉自体も曖昧なものになりつつあります。

 

しかし、実際、双方向の情報交換って、ニュースにおいてはどうでしょうか。

 

 

◆日本のメディア利用事情

毎年、世界のメディア事情を調査しているオックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所が興味深い結果を報告しています。

 

同研究所は、アメリカ地域、ヨーロッパ地域、アジア地域などを中心に世界36カ国で調査しています。日本では約2000人を対象に分析されました。

 

日本のインターネット普及率は94%と、世界トップクラスの普及率を誇っており、最もニュースを見るメディアとしては、テレビとオンライン(インターネット)が拮抗しています。オンラインニュースが身近になってきているといえます。また、デバイス別で見ると、パソコンが減少基調にあり、スマホが増加傾向、タブレットはほぼ横ばいです。確かに、街中を歩いていてもスマホを覗き込む人が多く、これらの調査結果は納得できます。

 

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『Digital News Report 2017』Reuters Institute for the Study of Journalism 

 

スマホなどの最新機材を持ってニュースを見ていることがうかがえるのですが、実際、どれだけ駆使しているのでしょうか。ニュースとの関わり方の指標として、注目できるのが、ニュースに対してコメントしたり、シェアしたりする人の割合です。

 

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『Digital News Report 2017』Reuters Institute for the Study of Journalism

世界で最下位。いくつかの国をピックアップした次の経年調査で見ても、シェアやコメントは増加していません。というより、シェアに限っては下がっています。

 

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『Digital News Report 2017』Reuters Institute for the Study of Journalism

日本はニュースがあまり好きではない国なのでしょうか。しかし、次の結果を見ると、嫌なニュースをあえて避けることもしていません。

 

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『Digital News Report 2017』Reuters Institute for the Study of Journalism

 

ここからうかがえるのは、日本はニュースに対して受身な国である可能性があるということです。情報に対して、意見を持ったり、それを言葉にしたりすることが苦手なのかもしれません。

 

近年では、テレビのニュース番組の中で、リアルタイムでツイッターのコメントが紹介されたり、番組に直接コメントを送ったりするようになりました。しかし、世界的に見れば、このようなコメントを活用している人は少なく、ニュースにおける双方向の言説空間は、盛り上がりに欠けているともいえそうです。

 

◆声をあげやすい環境

世論の声というのは、大きな力を持っています。私が調査報道を行ったときは、世論の声によって、制度が変わるということを目の当たりにしました。記者のときは声なき声をすくい上げることが使命の一つだと思っていました。

 

しかし、現代は、個人でも声をあげやすい環境があります。最もおそろしいのは、社会問題に対して無関心であること、意見を持たないことだと思っています。

 

日本は、将来の方向性を決める大きな選択が迫られている課題が山積しています。安全保障、自由貿易社会保障、税金……。我々は次の世代に何を残すことができるのでしょうか。

 

ネット上の公共圏がもっと盛んになり、国民全体できちんと権力を監視ができれば、初めてニュースメディア2.0ともいえる環境が整うではと考えます。

 

それでは、お元気で。

本を企画するときに考える5つのこと

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◆本の企画の実践知◆

新聞社を退職してから、私は本を編集する仕事をしてきました。ジャンルは学習要素を含んだビジネス書です。

記事と本は、同じ文章を扱うという意味では親和性が高いのですが、情報量が全く違うので、それに伴って視点が異なります。

さらには、学習要素を含む本では、読者に学びを促す設計がなされていなければなりません。インストラクショナルデザインという分野では、ADDIEプロセスやARCSモデルなど、教育の設計方法について解説されています。

このような教育工学に基づいたフレームワーク援用した設計方法については多数の書籍が出ているので、そちらを読んでもらえればと思うのですが、ここでは、私が編集者の仕事をしていて、本を企画する際に考えていることをまとめたいと思います。

 

 

◆本を企画する5つのフロー◆

1:時流をつかむ

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今世の中の動きはどちらに向かっているのか、どういうコンテンツが求められているのか、予測します。そのための情報収集は欠かせません。ニュースを見たり、本屋に足を運んで平積みの本を眺めたりします。「あぁ、世の中の多くの人は、コミュニケーションに悩んでいるんだなぁ」、「自身のメンタルケアに関心がある人が多いのかなぁ」といった大きな流れを読み解きます。そして、半歩先のアイデアを練っていきます。重要なのは、「半歩」です。あまり先を行き過ぎるテーマだと大勢の読者はついてこないからです。自分の感覚がずれていないか、職場の同僚や友達と雑談をしながら確認することもあります。

昨今では、ビッグデータの活用が重要になってきていると思います。マーケティングリサーチによって分析された結果を参考にして、数字から読者の心理を読み取ることもあります。

「今、働き方改革が大きなうねりとなっているけど、その後はどんなものが求められるのだろうか」といった具合に、現在のブームから派生して、引き起こせそうなブームを考えるのも重要です。

 

 2:テーマを設定する

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イデアはできるだけたくさん挙げますが、テーマは広すぎず、狭すぎずを心がけます。本は内容にもよりますが、大体、1冊10万字前後と考えて、その分量に耐えうる情報量を持ったテーマかどうかを考える必要があります。 

もっと端的にいえば、私はテーマが浮かんだら、5章立てで内容がパッと考えられるかを頭の中で実践してみます。思い浮かんだら、採用。浮かばなかったら、別のテーマと組み合わせたり、切り口を変えたり、もう少し広いテーマでできないか再考したりします。そこで面白そうなテーマにならないときは、ボツにします。

 

 3:著者を選定する

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テーマに見合った著者を探します。これまでやりとりした実績のある著者がテーマに合うならよいのですが、そうでない場合は、新規開拓をします。新しい著者を選ぶ場合、肩書きやこれまでの出版実績がかなり重要視されますが、まず私は、テーマに関する本を何十冊と「パラ読み」して、すっと頭に入ってくる本を選抜していきます。

そして、選抜されたいくつかの本から、著者の執筆実績や経歴、そして「はじめに」と「あとがき」をしっかり読みます。忙しい著者であれば、本文はライターが書いていることもあるのですが、「はじめに」や「あとがき」は本人が書いていることが多いですし、人柄や思想性が伝わってくるので、かなり入念に読みます。

 

 4:章立て

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本を作る際の章立ては、著者がすべて考える場合もあるようですが、私は、仮の章立てをたたき台として作成し、著者と調整することが多いです。章立てで意識するのは、体系的かつ構造的な章立てにすることです。理想は、1、2、3、4、5章のタイトルがモレなくダブりがない体系になっていて、それぞれの章の節タイトルもモレなくダブりがない構造になっているようにすることです。

こうすると、読者の頭に本の内容がとどまりやすくなり、また読み返す際もどこにどんな内容が書いてあったのか探しやすくなるからです。一方で、それに固執しすぎて、質が下がってしまうのは本末転倒なので、なるべく「遊び」の部分、挑戦的な部分を入れるようにしています。例えば、本の最初のページに写真を挿入したり、類似する本と比べてもあまり見たことのない章を挿入したりします。読者に目新しさ、好奇心をそそるための工夫です。

 

 5:企画を一枚にまとめる

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どんなにいい企画を考えても、その企画が通らなければ意味はありません。端的にわかりやすくメッセージを伝えるために、アイデアを一枚にまとめます。一枚にまとめられないというのは、まだアイデアが散漫になっていたり、芯の部分が弱かったりするときが多いです。

意思決定者は、売れるかどうか、面白いかどうか、という視点で見ていることが多いので、わかりやすいタイトルをつけること、根拠はなるべく数字で示すことを心がけます。

 

 

◆文章は生き物◆

編集者は、本を手に取り、章立て、文章、著者など、さまざまな情報に目を通します。その本が、どれだけアイデアを練り込んでつくられたのかは、読んでみるとすぐにわかるでしょう。本は、その記された文章以上にメッセージを発するものだと思います。細部にその本の制作に携わった人々の思いを感じることも少なくありません。

だからこそ、本の制作の出発点となる企画が、盤石なものであるようにせねばならないと思うのです。何気なく読んでいる本も、どういう企画を元に作られているのか、思いを馳せてみるのも、また違った楽しみ方ができるかもしれませんね。

 

それではお元気で。

 

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フェイクニュース現象に見る「ニュース本来の役割」とは!?

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■フェイクニュース現象 

最近、事実に基づかない内容がニュースとして発信される「フェイクニュース」の問題が話題になっています。米大統領選でのデマの発信によって発砲事件を引き起こした「ピザゲート」事件や、英国のEU離脱の際の誤った拠出金額を公約に掲げたことなどが、社会に大きな影響を及ぼしました。また、日本でも熊本地震の際に「動物園からライオンが逃げた」との虚偽の発信が問題になりました。これらの問題に関連して、まとめサイトの信憑性のない記事や無断転載への指摘も取り沙汰されました。

 

このような情報の流布には、単なる冷やかしのような人間もいるかと思いますが、生業として行っている発信者、そして媒体運営者は、マーケティングマインドに特化した価値観が根底にあるように思います。産業として捉えたとき、低コスト大量生産による「販売志向」の発想でニュースを作り、個人または法人の利益追求を行っているような気がします。嘘でも何でも、ウケるものを低コストで大量に発信して、集客したい。そんな意識が垣間見えます。

 

しかし、なぜ、このような行いが批判されるのか。そもそもニュースとは何なのでしょうか。

 

 

■ニュースの役割

ニュースには読み物としての娯楽的要素もあると思いますが、それ以外にも2つの大切な役割があります。

 

一つは、環境監視に応える役割です。

 

人間には本来、身の安全を守るために情報を得る意識が備わっています。脅威や珍しいものに関心を持ち、環境の変化に対応をしようとするわけです。弥生時代には、村に物見やぐらを立て、敵襲がないか、いち早く情報をキャッチできるよう、見張っていたという説があります。「瓦版」として紙の情報共有が発展した江戸時代には火災、仇討ちなどがよく取り上げられています。

 

今でも、事件、事故、災害は人々の大きな関心ごとですね。報道機関には、それをいち早く、正確に伝達する仕組みが出来上がっています。

 

もう一つは、権力監視に応える役割です。

 

社会契約説を前提にすると、政府は主権である国民が信託に基づいて成立しているとされます。政府が国民の生命・自由・財産を侵害する場合には、国民は抵抗する権利があります。国民の権利を脅かしていないか、常に監視しておく必要があります。われわれが信頼して税金を納めている政府が、われわれの幸せのために政策をしてくれているのかを、情報を開示させ、チェックしなければいけません。

 

しかし、国民全員が常に監視しておくのは、難しい。ですから、報道機関や弁護士、オンブズマンなどが職業として、チェック機能を果たそうとしています。

 

この2つの役割を総じて言えば、「公共の福祉・安全を守る」役割と言い換えることができるでしょう。

 

 

■ニュースの社会的責任が問われる

レガシーメディアといわれる新聞をはじめとした報道機関は、戦後、ニュース制作において、マーケティングの意識とは別に、こうした公益性の高い役割を担うべく、不断の努力を続けてきました。

 

時には、報道機関が、報道の自由を守るべく国家と、時には、労働組合が、編集の自由を守るべく経営者と戦ってきました。

 

しかし、今でも十分な環境を得られていません。むしろ記者もそういった役割意識が薄れつつあり、後退している感もあります。

 

このような状況の中で、技術の進展に伴ってインターネットを中心とする新興メディアが現れてきました。中には、「公共の福祉・安全」の意識があまり見受けられないメディアもあります。ここには、玉石混淆とした情報の選別を行う「門番」としての役割を担う編集者の力量、情報を受ける人々の意識など、さまざまな問題がはらんでいると思います。役割意識の乏しいメディアが勢いづいてくる状況には、危惧を抱きます。

 

近年、インターネット上のコンテンツを見ていると、思わずクリックしたくなるようなキャッチーな見出しや画像の編集は目を見張るものがあります。しかし、これからは、そういったテクニックだけではなく、そもそも「ニュースを作る」ということはどういうことなのかが改めて問われるようになってくるように思います。

 

多様なメディアに触れられる時代になったからこそ、改めて「情報とは何か」「ニュースの存在意義」「ニュース制作のあり方」をそもそも論で語り合うべきなのかもしれません。

 

次回は、情報の受け手の目線から、ニュースとどのように向き合うべきかを考えてみます。

 

それでは、お元気で。

東大生、トップアスリート……。あらゆる分野で「一流」と呼ばれる人の共通点とは!?

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気が付けばもう5月。急に暑くなってきました。つい先日、と言っても3月ですが、大学院修士課程を修了しました。激動の2年間でしたが、何とか走りきることができました。

 

振り返ってみれば、高校時代はサッカーの名門校でプロ入りするチームメートを間近で見て、新聞記者時代には政治家や官僚らを取材し、東京大学では研究のトップランナーたちを目の当たりにしてきました。そう考えると、大変運が良いというか、幸せなことだなと思います。

 

私は決して一流ではありませんし、むしろ5流ぐらい(笑)から這い上がってきたタイプの人間なのですが、出会ってきた人々の話を聞く中で、一流になるための秘訣は何なのかということを常々考えてきました。

 

◆一流の人の共通点

あくまで持論ですが、その分野で卓越した人の共通点、つまり一流になる秘訣は、「継続」なのではないかということです。

 

目標や目的に貪欲に向かいつつ、そのための活動を継続すること。あまり面白くない答えかもしれませんが、「魔法の粉」みたいなものは存在しないのです。

 

僕は在学中、東大生に「何で東大に入れたと思う?」という質問を繰り返し尋ねてきました。中には、「死ぬほど勉強しました」という人もいましたが、多くの人は「何で東大入れたかわからない。そんなに勉強したという意識がない」といいます。

 

こういう答えが返ってくると、「あぁ、やっぱり頭の出来が違うんだ」と思って質問をやめてしまいますが、僕は納得がいかなかったので、あえてさらに質問を重ねました。

 

すると、いろいろ出てきます。高校時代、始業時間より1時間早く来て毎日勉強していたとか、寮に入っていたから勉強時間が決まっていたとか、幼少期から哲学書をひたすら読んでいたとか、彼らの大学までの生活が見えてきました。

 

そう、彼らにとって勉強はルーティンなのです。毎日苦しい思いをしてやっていると感じているなら、相当意志が強くないとなかなか続かない。でも、彼らは努力を努力と思わないレベルでやっている。

 

確かに、イチロー選手が自宅で毎日素振りをしていたからといって、「家でコツコツと素振りをして努力をしています」とは言わない。本田選手が全体練習を終えてから個人練習をするのも特別なこととして語らない。

 

毎日歯を磨くのと同じように、当たり前のこととして体に覚えこませているように感じます。

 

でも、毎日続けるってしんどくない?相当強い意志がないと無理だよ、なんて思いがちです。

 

ここであきらめる人が多いように思います。しかし、ここで、一工夫です。

 

どうすれば持続可能になるか。

 

それはルーティンです。

 

一流の人は、このルーティン化する作業がうまい。

 

では、どのようにルーティンにするのか。そのポイントを挙げてみたいと思います。

 

 

◆ルーティン化するための4つのポイント

 

1.心理的障壁を下げる

「寝る前に、翌朝に着る服を決めて、朝はスムーズに家を出られるようにしているよ」。東大のゼミの先輩は、職場に行く2時間前に毎朝カフェに行って研究をするそうです。できるだけ心理的障壁を下げられる環境を作って、家からそのカフェに向かう。毎日同じ場所、同じ席にすわる。まずはそこが第一段階の目標。そうすると、毎朝その場所に行かないと気持ち悪くなってくる。その後、毎朝、目的達成のために締め切りを設けながら、課題をクリアする。このようにして段階的にルーティンにしていくそうです。

 

2.毎日必ず確保できる時間帯を選ぶ

また、ルーティンを行うには、なるべく邪魔をされない時間を選ぶことです。急な用事や依頼が舞い込むような時間帯には向かないです。そうなってくると、必然的に朝を選択する人が多いように思います。会社勤めの人であればお昼休みなど、毎日必ずやってくる時間に入れるのもありかもしれません。

 

3.ルーティン化する準備にはストイックになる

心理的障壁を下げること、時間を確保することにストイックになることです。例えば、早朝にルーティン作業をする時間を持っているとしたら、当然夜の準備が重要です。飲み会などで夜遅くまで、エンドレスな飲み方をしてしまうと、翌朝は動けなくなる可能性が高いです。時間を定めてさっと帰る、もしくはそういう日は元から特別なオフ日に設定しておくことが重要かと思います。グダグダしてしまうと、たちまちルーティンは消えていきます。毎日コツコツ繰り返す。そして、休む日は休む。その習慣化が大事なのでしょう。

 

4.ここ一番の勝負強さ「ピーキング」を意識する

自分の定めたタイミングに最大の力が発揮できるようコントロールすることをピーキングと言います。コツコツと継続を繰り返しつつも、その行為がどこにつながっているのかを見失っていてはいつかモチベーションが下がってしまう。「いつか舞台に立つ日はやってくる」。地道な毎日ですが、常に目標到達地点を念頭に置きつつ行動することが重要です。

 

◆「短期間追い込み型」では越えられない壁

私は、コツコツが苦手な人間でした。というか、今もそうです。どちらかというと、短期間で寝食を忘れて一気に追い込む方が得意な私にとっては、継続的な取り組みは難しい。

 

でも、東大に行って、それだけでは越えられない壁があることに気付きました。一つの道を極めるというのは、地道な作業です。

 

そう、スプリントではなく、マラソン。うさぎとかめの話ではないですが、積み重ねていかないと一流にはなれないのです。

 

人は苦しいことを永続的に続けていくことは難しい。ですから、苦しくない程度に毎日コツコツやる。それが結果として、大きな成果となる。

 

スプリントを得意としつつも、マラソンもできたら、きっと見たことのない景色が広がる。そう信じて、持続可能な研究活動を模索し続けたいと思います。

 

それではお元気で。

あの日の記憶。記者として震災に向き合った忘れられない1日

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東日本大震災から6年が経ちます。

 

2011年3月11日の発生当時、私は近畿地方のある新聞社の支局で、沿岸部に押し寄せる津波の警戒をしていました。電車などの交通機関がどれくらい乱れているのか、片っ端から電話をかけて取材をしていました。

 

そんなとき、「明日から現地に行ってくれるか」と支局長に右肩をポンと叩かれ、翌日から現地入りすることになりました。それまで一度も訪れたことのなかった東北の地。まさか自分が、大阪から向かう取材班の第1陣に選ばれるとは思ってもみませんでした。

 

現地の様子についての情報がほとんどなく、会社から現金を渡され、ワゴン車に通信機材、食料を大量に積み込み、数人の記者が車内でぎゅうぎゅう詰めになって、出発しました。

 

しばらくすると、車内のラジオから「福島原発メルトダウン……」と聞こえてきました。何か想像だにしないことが起こっている。「あぁ、俺は生きて帰れるだろうか」と、緊張が走りました。他の記者も同じような心境だったのか、ワゴン車の中は終始、静まり返っていました。

 

3月12日から約10日間、現地に滞在して、取材をしました。

 

取材を終えて戻ってきてから、いくつかの団体で講演をし、ラジオでも取材の話をしました。今も毎年、現地を訪れて被災した方々に取材をして記事を書かせてもらっています。

 

使命感などという大それたことはいえませんが、大災害による悲しみの果てを目にしてきた人間として、二度と同じことを繰り返してはならないと、私はどんな肩書きであっても、文章にして伝え続けるべきだと思っています。

 

震災当時の取材で忘れられない1日があります。その日の日記をここに記すことにします。

 

◆◆◆

地震発生から1週間が経過し、他の記者と入れ替わる形で、被災地での取材を終えることとなり、現地での取材が最終日となった8日目。 

 

「辻、どこか行きたいところあるか」と先輩記者に尋ねられた。「遺体安置所に行かせてください」と答えた。あらゆる分野を取材する記者のなかで、最も辛いのは遺族取材。でも、ここで悲しみの果てを目の当たりにしないで帰るのは、やじ馬の延長で仕事をしているような気がしてならなかった。それだけは嫌だった。普段うだうだ仕事をしている自分だけれども、緊張しながらも志願した。 

 

避難所や現場に向かうチーム取材から離れ、タクシーを拾って、津波により壊滅的な被害を受けた沿岸部の遺体安置所を訪れた。安置所の駐車場は車でいっぱいで、県警と自衛隊の車両も並んでいた。花束を持っている人や、入り口付近で携帯電話を持って誰かに電話している人がたくさんいた。自衛隊が、ひつぎを次々と中へ運んでいた。 

 

建物の中に入ると、様々な大きさのひつぎが100以上並んでいた。多くの人が入り口付近にある掲示板に張り出された紙を食い入るように見つめていた。紙には「頭の後ろにほくろ」「60代男性」など、遺体の特徴が書かれていた。なかには名前が判明している遺体もあった。

 

入り口付近に立っていると、安置所を管理する職員数人がひつぎを抱え、後ろから亡くなった人の家族と見られる人たちが、泥だらけになった服や指輪など、遺留品の入ったビニール袋を持って、出て行った。胸が詰まった。

 

「家族が帰らぬ姿の身内を見つけたばかり。そんな時に見知らぬ自分が声をかけて、ずけずけと話を聞く権利があるのか」。そんな気持ちになった。自ら遺体安置所での取材を志願したものの、入り口で右往左往した。人に声をかけるのに、小一時間かかった。 

 

入り口近くでたばこをくゆらせている男性がいた。「すいません、お話聞かせていただいてよろしいですか」と聞くと、男性は「ええ」と軽く2度頷いた。淡々と言葉が返ってきたが、男性の目の奥は泣いていた。「どなたかお探しですか」と尋ねた。すると男性は、「おふくろと、妻は遺体で見つかった。息子が見つからない」と話した。男性は市街地にある会社で仕事をしていて、家族と連絡がつかなくなった。家族は車で逃げ出している途中に流されたようだと教えてくれた。息子が行方不明で、新しいひつぎが運ばれてくるのを待ち続けていた。 

 

別の男性は入り口のいすに腰をかけていた。男性は実家で一人暮らしをしていた母が行方不明で、安置所で100体以上の遺体をのぞき込んだ。中には「顔をお見せできません」とメモ書きが貼ってある。母が産んでくれた時にできた帝王切開の傷跡を頼りに、ひつぎの中の体をのぞき込んだ。男性だとわかるとふっと息を抜いた。数日前に実家を訪れたという。デジカメで撮った実家の写真を見せてくれた。写真には、泥とがれきしか写っていなかった。「津波が父の形見のカメラも思い出のアルバムも何もかも家ごとさらっていった。母までいなくなったら……」と目を潤ませた。

 

入り口からひつぎの並んでいる奥の方へ進んだ。入り口付近よりもひんやりとしていた。ひつぎは顔の部分の小窓が開いていた。顔はきれいに化粧されていたが、深い傷が残っている顔も見た。大きいひつぎもあれば、小さいひつぎもあった。なかには顔の小窓が開いていないのもあった。亡くなった身内に語りかける家族、ひつぎを抱きかかえて泣き叫ぶ人、花束を添える人が所々にいた。さきほど母を捜すと言っていた男性の姿もあった。「家族一緒に並べてもらったんだよ」。どこからともなく、そんな言葉も耳に入ってきた。静かにゆっくりと歩いた。この場所は、森厳で、崇高で、神聖な場所にすら思えた。これ以上立ち入ってはいけないと思えて、すぐに引き返した。 

 

取材を続けていると、突然女性が詰め寄ってきた。「私たちは家族がどこにいるのかわからないのよ。車のガソリンももうない。何度も安置所を回って、無駄足を運んでいる。できるだけ可能性のある所へ行って、引き上げられた遺体は早く家族のもとに戻してほしい。安置所、遺体の情報をもっと伝えて」と訴えてきた。女性は周りを気にせず、大きな声で私に言った。訴えは切実だった。 

 

夕方、自衛隊によるこの日の遺体の収容が終わり、安置所が閉まりかけていた時、服が入ったビニール袋を持って出ていく白いひげの男性に声をかけた。

 

「息子の嫁が、本日見つかりました。間違いありません」。男性はそう言って、唇をかんだ。「地震が発生した時、何をされていたのですか」と尋ねると、男性は紐を解いたように、話が流れ始めた。 

 

「今、病院にいます。妻はダメだった……」。地震のあった翌日の朝、息子から男性の携帯にメールが届いた。男性は、急いで病院へ向かうと、息子はベッドにいた。夫婦で津波にのまれたことを打ち明けられたという。

 

息子夫婦はコンビニを経営していた。独立したばかりで最近ようやく利益が出始め、業務用の車を買い替えたばかり。地震発生当時も、2人はコンビニ店内で働いていたという。

 

息子夫婦は津波がくる直前まで、レジにいた客の対応をしていた。すると、急に店の前まで波が襲ってきた。2人は店の前に止めていた車の上によじ登ろうとした時、濁流にのまれた。息子は濁流のなか、必死に妻を抱きかかえた。それでも、波の勢いは強く、ついに体が離れてしまった。

 

それから息子は数時間濁流の中にいた。真っ暗のなか、そのまま流され、数キロ先の高速道路のフェンスにたどり着いた時、必死にしがみつき、よじ登った。高速道路には波がきておらず、道路脇にあった非常電話で病院へ連絡して助かった。

 

しかし、妻はそのまま行方不明となっていた。

 

男性は、行方不明となった息子の妻を毎日、コンビニの近くの安置所や警察署を探し回った。そして、やっと今見つかった。

 

ひつぎの横には、泥だらけになったコンビニの制服と名札があった。男性は「眠りから覚めてくるような、きれいな顔をしていた。幼い子どももいる。これからという時に、無念だったろうに……」と、涙を1粒、2粒とこぼし始めた。私は全身が身震いし、胸の奥が熱くなった。ひたすらにペンを走らせることしかできなかった。 

 

ありのままを語ってくれた男性に深々と頭を下げて、遺体安置所を出た。タクシーへ乗り込み、大きく息を吐いた。ずっと窓の外を眺めていたが、視点が定まらなかった。 

 

記者としてどのような姿勢で臨み、被災者、遺族、読者に何を伝えていくべきなのか。身内を失った深い悲しみのなかで、軽々しく見知らぬ自分が話かけ、あえてその悲しみを口に出すよう水を向けることは、人の尊厳を踏みにじることにならないのだろうか。逆に、遺族は記者だからこそ話をしてくれたのかもしれない。そうだとしたら、気持ちをはばかりすぎて、記事の掲載に至らない程度に、中途半端に聞くことの方がもっと失礼なのではないか。答えは見つからなかった。 

 

一眼レフのカメラに目をやった。ついに一度も遺体安置所の外や人々の姿にカメラを向けることができなかった。「記者として失格やな」。そう心の中でつぶやいた。錯綜する価値観の中で、心がずっと揺れ続けていた。

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当時、話をしてくださった人々は、ごく普通の幸せな生活を送っていた人々です。災害が起こると、普段当たり前にあると思っていたものが、一瞬にして消えてしまう危険性をはらんでいます。

 

スーパーでモノを買い、食事をして、温かいお風呂に入り、ふかふかの布団で寝る。実はそれは、当たり前ではないのかもしれません。

 

「当たり前」の幸せを守る最大限の準備をしていますか。

 

6年経った今、改めて問いかけたいと思います。

 

そして、今もあの震災で被災した人々が懸命に前を向いて過ごされていることを忘れてはいけないと思います。