気がつけば半年以上もブログを更新しておりませんでした。
文章自体は書いていなかったわけではなく、様々な媒体で書く機会も多く、手が回っていなかった、、、というスーパー言い訳でしかないのですが、そんな状況でした。
これまでよりもう少し短い文章でも、最近考えていることを発信していけたらなと思います。
最近はタイトルの通りジャーナリズムって何?ってところを起点にして、メディアを取り巻く事象を考えることが多いです。
ちょうど1年前、私はあるところから研修を頼まれました。外国のジャーナリストたちが来るから、日本の動向について研修してほしいとのことでした。法律、思想、文化などが異なる人々に、このガラパゴスジャパン!を説明するには、あらゆるものの前提から説明しないといけないため、なかなかハードルが高いなと頭を悩ませていたのですが、それはともかく、その研修担当者に初めて会った時に言われた一言がありました。
それがまさに、
「ジャーナリズムって何ですか?」
でした。
お恥ずかしながら、こちらに関する研究をしているにも関わらず、一瞬、軽くボディブローを打たれたかのように「うっ」ってなりました。
一瞬、「うっ」てなりつつも、その場で答えられる限りで説明はしました。一応納得はしてもらえた?のかな。
このメッシのパスくらい意表を突いてくる問いかけをされた体験からすると、全く門外漢の人にジャーナリズムの概念を明快に説明するのは、実はそんなに簡単なことではないのではないか。
どうでしょう。日々、情報発信している方、即答できますかね?
概念定義は様々ですが、例えばこのような定義があります。
「ジャーナルによって、同時代を恒常的に観察し、そこで何が起こっているのかという事実を探究し、時代と世界がどこに向かおうとしているのかを点検し、それらの結果を公衆に伝え、公衆に判断材料を提供しようとする社会意識、そしてその活動のこと」(花田達朗 2018『ジャーナリズムの実践 第2巻』,彩流社, pp14-15. )
「主権者に必要な事実・情報を伝えることで、現実に影響を与える報道活動であり、時代に対する批判的言説を含むものである。それは人々の自由と主体性の獲得に資するものである」(根津朝彦 2019『戦後日本ジャーナリズムの思想』, 東京大学出版会, p2. )
定義の2行目くらいから読むのやめた人、ちょっと待って。
少し紐解いていきます。
「ジャーナル」なので、日々の記録なんでしょうね。定期刊行物という意味もありますから、やはり日々のことを発信するという意味合いがありそうです。さらに、「主権者に必要な」や「公衆」って言葉が出てきているので、「今日、俺は朝から食パンを食った!」っていうのをパブリックに発信しても「あっそう」で終わるわけで、やっぱりみんなに関係のあることが発信される必要がありそうです。
みんなに関係があること。それは私たち全員の生命、自由、財産に関わること、つまり私たちの権利を束縛する国や大企業など強大なパワーを持つところに関係する話が主になってきそうですね。「首相がこんなこと話しています」、「国が新しい法律を作りました」といったことは、多かれ少なかれ私たちの生命、自由、財産に関わってくるので、発信されているのですね。
しかも「批判的言説を含むもの」とあるので、単に「政治家がこんなことを話しました」だけではなくて「こんなクソみたいなことやってまっせ」「社会でこんな不条理なことが起こってまっせ」もありだということです。ありというか、あえて概念定義に入れられているくらいなので、めっちゃ大事なのかもですね。それ以外にも大きな事件、事故、災害も私たちの暮らしに大きく影響を与えるので、発信する必要があるとされているのでしょう。
そして、それらの発信内容を見て、みんなでこれからどんな社会にしたいのか、どんな未来を描くのか「判断材料」にしてもらおうとする「意識」であったり「活動」であったりするということみたいです。journalismの最後が「ism」なので、ナショナリズムとか、エコツーリズムとかと一緒で、主義や意識といった「形のないもの」であるといえそうです。
ですから、
ジャーナリズム=マスコミでもないし、ジャーナリズム=インターネットでもない。
ジャーナリズムは、私たちにとって生きる上で大切な意識であり、誰のものでもなく私たち市民のものであるということだと思います。
しかしながら、そういう意識を持っている人、そんなに多くはないのではないでしょうか。特に日本においては。
こうしたことを考えつつ、今のメディアを取り巻く環境や歴史を振り返ってみると、色々と見えてくるものがあります。
お、意外に長くなった。今日はこのへんで。
それではお元気で。
【ジャーナリズム人材育成論】
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