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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

「かわいがられる人」のコミュニケーションとは?

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◆かわいがられるためのコミュニケーション◆

世間の流行を把握したり、企画のヒントを得たりするために、定期的に本屋に立ち寄るのですが、最近ふと目に止まったのは「かわいがられる力」というタイトルの本でした。というのも、先般、大学院の先生方が、企業はどういう人材を採用すべきかについて会話されていたときに「上司や先輩にかわいがられることって大事だよね」などとおっしゃっていたのが頭に残っていたからです。

 

かわいがられる力・・・。この時代、なんでも「力」になってしまうなぁと思いながら、手にとりました。周囲の客やレジの店員に「あぁ、この人、かわいがれたいんだぁ」「この人かわいがられてないんだぁ」なんて思われているんじゃないかと、少々恥ずかしい気分になりましたが、どんなことが書かれているのか知るために読んでみました。

 

本には、相手との接触頻度をあげることや、相手の期待以上の成果をあげること、人脈を築くこと、相手を好きになることなどが書かれていました。結局、かわいがられる力という抽象的な概念を切れ味よく答えるのは難しいんだなと感じたことと、ビジネスにおいては至極当たり前のことの中にかわいがられるヒントがあるのかなと思いました。

 

また、以前、ある番組でホリエモンこと、堀江貴文氏が、相手とコミュニケーションをとる上で「Me We Now理論」というものを話していました。

 

相手と仲良くなるためには、まずは自分の話をする。「幼少期はずっと田舎暮らしで厳しい両親のもとで育ちました。社会人になってから片田舎から東京に出てきて、この仕事しています」などといった自己開示から始めるということです。そして、相手との共通点を探して、共有できる話をする。その後、今、自分のやりたいこと、訴えたいことを話すというものです。さらには、「話すとき、まずは負け顔を見せなさい」ということも述べられていました。

 

何気なく行っている会話も、こうやって言語化されると、なるほどなと思わせられました。

 

本と堀江氏の内容から、自分なりに解釈すると、人は、わからないもの、不安定なものを嫌う生き物なので、まずは相手を安心させるためにステップを踏むことが重要なのかなと感じました。

 

◆2タイプの記者の接し方◆

「かわいがられる」とは、少しニュアンスは異なるかもしれませんが、毎日、人と会い、時には言いたくないこと、保秘しなければならない情報をも相手から引き出すプロである記者は、どのように人と接しているのでしょうか。

 

個人的経験から、記者は大きく分けて2タイプいると思います。

 

・「負け顔見せまくり、人たらし、人情派記者」

・「ロジ責めばりばり、泣く子も黙る追求記者」

 

「負け顔見せまくり、人たらし、人情派記者」は、相手とすぐに仲良くなります。このタイプの記者は、“安いプライド”は持ち合わせていません。下手に出ることもできますし、相手を立てることもできます。とにかく人が好きで、何でも興味を持って、どんどん聞こうとするので、相手も悪い気はしません。いい意味で、「情報がほしい」と色気を見せないので、公私問わず、様々なステークホルダーから連絡が来ます。知り合いが多いので、貴重な情報が入ってくることも多いですし、助けてもらえる人も多そうです。

 

「ロジ責めばりばり、泣く子も黙る追求記者」は、極めて冷静です。感情に流されることなく、相手の隙をズバッと突く。相手にも厳しいですが、自分にも厳しい。周囲に恐れられていて、寄ってくる人は少ないですが、こういう人だから信頼を寄せる人もいます。しかも、信頼を寄せてくれた人の多くは、誰にでも仲良くする人ではないことが多いです。したがって、いったん仲良くなると、特ダネにつながりやすい。特にロジカル思考が好きな人と関係が深まりやすそうです。

 

どちらのタイプの方がよいというのはありません。上司には、よく「カメレオンになれ」と言われました。自らの個性や強みを理解しつつも、それに固執しすぎず、相手や場合によって使い分けられるようになることが、真のプロフェッショナルである。そんなふうに教えられました。

 

 

◆真摯かつ誠実であること◆

かわいがられる力、難しいですね。私は、比較的、かわいがられやすいというか、怒られやすいタイプでした。中高のサッカー部の部活動でも、監督は私を怒ることで、チームをしめるということがよくありました。これはかわいがられていると言えるのでしょうか・・・。

 

今回は、「かわいがられる」ことについて考えてみました。ややコラムっぽくなってしまいました。ただ、経験上、一つ言えるとするなら、相手にかわいがられるには、やはり「真摯であること」そして、「誠実であること」。これはどんな仕事であっても、必要かもしれませんね。自分がされて嫌なことは相手にしない、自分がされて嬉しいことを相手にする。多くの人が、幼少期に教わった人としての基本を、今一度振り返ってみることが大切かもしれませんね。

 

では、お元気で。

記者の“思考停止状態”は会社の影響なのか!?

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◼︎ビジネスで求められる主体性

最近、最先端の研修やビジネスパーソンとして備えるべきスキルについて、見たり、考えたり機会が増えました。若手であれ、部下を持つリーダーであれ、どんな階層にいる人々にも求められる力は、主体性を持って、相手を納得させられる発言をする力のように思います。とにかく主体的に考えを述べさせる。そして、多様な意見をうまく取りまとめて、何かを生み出す力を伸ばすことが強く求められていることを痛切に感じます。

 

ロジカル思考や課題発見力など、様々なスキルが重要視されていますが、結局はこういった思考を成果としてアウトプットするためには、主体的に発言し、対話する力がないといけないように感じています。これは、KKD(勘・経験・度胸)や「あうんの呼吸」が重要だと言われてきた従来のビジネス環境から、雇用形態、国籍、性別はもちろん、働くということに対する価値観すらも多様化し、きちんと筋道を立てて思考して、相手を納得させられる説明をしないと伝わらないビジネス環境に移行してきているなかで、当然のことのように思います。ちなみに、私はこういったトレーニングをあまり積んできたわけではないので、今、大いに苦労しています。

 

◼︎新聞社の職場風土はどうか

振り返ってみると、新聞社での組織内において、若手時代にあまりこういった力が求められる局面が少なかったように思います。若手記者に対して呼称される「テカ」(部下の意味)、「兵隊」(部下の意味)、「一番機」(一番初めに現場に行く人)、「コミマシーン」(聞き込みをひたすら行う人)など、今でも業界用語として使用されているこれらの言葉は、「習うより慣れよ」的な思想が含意されていて、ともすれば個々人の主体性を取り去ってしまう危険を孕んでいる組織風土があるという見方もできます。

 

ただ、全てを否定するというわけではありません。報道機関は、とにかく時間がありません。デイリーで正確かつできるだけ真意をついた情報コンテンツを提供せねばなりません。取材先にとっては新人もベテランもないわけで、一定のクオリティの記事を実践的に書かないといけません。じっくり新人との対話に時間をかける余裕がなく、理屈で理解するだけでは解決できない課題にあふれた厳しい世界です。

 

「君がデスクに返事できる言葉は『はい』か『すぐ調べます』しかない。『いいえ』や『わかりません』という言葉はない」。入社して間もなく赴任した地方支局で先輩に言われた言葉です。それだけ徹底しているがゆえに、おそらく他業種に比べて、入社から数年の成長スピードはかなり速いように思います。熟練した記者としての「型」、つまり基本動作を徹底的に叩き込まれるので、新人から「報道のプロ」への移行期間は、個人差はあれど、短いです。

 

 問題は、一定の「型」を学んだあとです。全員ではありませんが、主体性を持ったり対話をしたりするトレーニングをあまり積まなかったために、“思考停止状態”になり、報じる意義について塾考することすらもやめてしまうといった「型」に甘んじる社内外の記者をしばしば目にしました。

 

中には、上司と戦う気骨のある記者はいます。上司に現場の実態と乖離した記事内容に修正されていると、「それなら、勝手にやってくれ。署名も外してくれ」といい、真っ向から喧嘩をする様子も見ました。こういった人は、自分なりの報道姿勢を、経験を通じて培ってきたのではないかと思います。

 

どちらの人が多かったか。完全に主観ですが、残念ながら、前者のような気がします。徐々に変わってきているかもしれませんが、若手から議論をふっかけやすい職場環境ではなかったことは確かです。

 

◼︎組織が記者の主体性に影響を与える

デンマークの論文(Morten Skovsgaard,2014)で、組織がジャーナリストのプロ意識としての主体性や、上司との関係性にどれくらい影響を与えているかということを調査したものがあります。

 

約1000人の大規模な調査データをもとに、分析(重回帰分析)を行っています。「上司が求めているネタを提案する」「上司が求めているものにフィットする形で話をつくる」という複数の質問項目をまとめて(尺度構成)「上司へ合わせる」型などの独立変数を作成し、性別、学歴、実務経験、映像メディア、雑誌メディア、Webメディア別などによって影響度の違いがあるかを分析しています。同様に「上司衝突」型、「独立した裁量」などいった独立変数も用いています。

 

 デンマークのジャーナリストの話なので、日本にそのまま当てはめるべきものではありませんが、タブロイド紙や週刊誌は、ジャーナリストの独立した裁量度が低く、「上司に合わせる」型が多いなど、様々な結果が出ています。さらに、この分析で明らかになったことの一つとして、ジャーナリストの主体性は、性別、学歴などの個人的なバックグラウンドよりも、組織的文脈の方が重要であったことだと結論付けています。

 

すなわち、少なくともデンマークにおいては、記者の主体性は、個人のパーソナリティによるところよりも、組織から与えられる影響によって変動する割合が大きいということが示唆されています。

 

◼︎記者に主体的な思考は必要か

そもそも記者に主体性は必要なのでしょうか。昨今の報道機関を取り巻く外部環境を鑑みると、他業界と同様に、新しいものを生み出さないといけないことは間違いありません。むしろ、伝統メディアは、他業界以上にビジネスモデル、コンテンツ双方において頭を悩ましているかもしれません。

 

では、記者には主体性が全く備わっていないのでしょうか。実はそうとは言い切れないのではないかとも思います。記者は各持ち場において、行政や担当業界の現状を批判し、課題の解決策を思考し、記事を書いています。主体性が全くないとなると、そもそも記事は書けません。

 

ただし、それは現場レベルのみに適用されています。つまり、外向きに対して行っている思考プロセスにとどまっているように思います。役所なり、議会なり、常に現状を疑う姿勢を持っていますが、自組織にそのベクトルを向けることはあまりありません。ですから、記者が現場で培った主体性を自組織でも生かしていく、そしてさらに発言を促し対話を深める仕掛けづくりが、職場に必要になってくるのではと思います。

 

基本動作を培ったら、どんどん対話の数を増やしていく。もっと、新しいアイデアを形にする土壌を持つ。アイデアを吸い上げるだけでなく、意思決定権者と現場が、一緒にイノベーティブな企画を生み出していく。そんな風になったらいいなと思います。主体性のある思考習慣、そして発言して対話する力は、ビジネスモデルの再構築だけでなく、例えば調査報道など、高い品質のコンテンツを生み出すことにも資するように思います。

 

マスコミ職は、今でも採用試験の倍率が高く、人気職であることは間違いないですが、それでも優秀な人材を確保するためには、企業のブランディングが欠かせません。階層に応じて、明確な成長プロセスを示すことができれば、いっそうブランド力が高まるのではないでしょうか。

 

今回は、少し長くなりましたが、ビジネスで求められる主体性について、新聞社の観点から考えてみました。優秀な人も多いだけに、そういった人々がさらに力量を高められるよう、いっそう創発を促す職場になってほしいと願ってやみません。偉そうに言うだけでなく、自分も頑張らないといけないですね。

 

それでは、お元気で。

 

参考文献:Morten Skovsgaard(2014) ,Watchdogs on a leash? The impact of organisatinal constraints on journalists’ perceived professional autonomy and their relationship with superiors, theory Practice and Criticism, vol15,344-363.

記者は上司や先輩よりも、他社から学んでいる!?

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◆他社の記者と大半の時間を過ごす特殊事情◆

皆さんはある組織に属したとき、誰から学びを得るでしょうか。上司、先輩、社内外の研修講師でしょうか。私の記者経験からすると、もう一人、大きな存在がいたことを思い出します。それは、他社の記者です。

 

新聞社は、入社すると、基本的に同期入社の記者と短期間の研修を受け、その後、各地方支局へ1人ずつ配属されます。支局には、所属長である支局長、原稿を見てもらう上司であるデスク、そして、現場で活躍されている先輩記者らがいます。ただし、配属された最初の数週間を除いては、取材は一人で行くことになります。取材をして原稿を書くことが仕事なので、朝から会社へは行かず、直接、担当の警察署や取材現場に向かいます。そういった場所には、同じ会社の先輩はおらず、他社の同期(この言い方は業界独特の言い回しかもしれません)や先輩の記者がいます。つまり、新人時代に大半の時間を一緒に過ごすのは、他社の人々なのです。もしかすると、このような環境は他業種にはあまりないものかもしれません。

 

◆実践的な学びは他社の先輩から◆

僕が記者クラブで「昼メシの出前を頼んでくれー!」といつもお願いしていたのは、S社の後輩でしたし、公私にわたって悩みを相談していたのはK社の記者でした。毎日顔を合わせるので、気心が知れて仲良くなりますし、それぞれが見知らぬ土地に来て仕事をしていますから、互いに励まし合うようにもなります。だけど、水面下で動いているネタについては絶対に言わない。本音を語り合う開放的な場でありつつも、互いにけん制し合っている緊張感もある、独特の場であったように思います。

 

新人記者が来ると、自社でも他社でも関係なく、取材のルールのようなものを現場で教える先輩が少なからずいます。また、教えてくれなくても、そういった先輩の動きを観察し、学習していきます。

 

僕が新人時代には、どうしても裏づけを取らないといけない人物の連絡先を知らなくて困っていたら、地方紙のベテラン記者がそっと「○○さんに聞いてみな」とささやいてくれました。そのささやきから、僕は情報を取るルートは一つだけじゃないことを学びました。

 

また、殺人事件があったとき、警察署で、各社で副署長を囲んで取材をしていると、他社の先輩が「被害者宅のポストに新聞は入っていましたか?いつの新聞が入っていましたか」としきりに聞いているので、「なんで、そんなことを聞くんだろう」と疑問に思っていました。後に、「あ、そういうことか」と気付きました。その先輩は、ポストに残された新聞の日付からおおよその犯行時刻を割り出そうとしていたのです。そんな聞き方があるんだと、学びました。

 

当然ながら、どこに行く、誰に取材するといった一つひとつの大まかな行動は上司である自社のデスクに指示を仰ぎながら動いていましたが、実践的な学びは他社の記者から得たことの方が多いように思います。

 

◆職務外の行動◆

大学院の授業で「組織市民行動」(Organizational Citizenship Behavior)という言葉を学びました。組織市民行動とは、さまざまな定義付けがなされていますが、Organ(1988)は「従業員が行う任意の行動のうち、彼らにとって正式な職務の必要条件ではない行動で、それによって組織の効果的機能を促進する行動。その行動は強制的に任されたものではなく、正式な給与体系によって保証されるものでもない」と定義しています。例えば、仕事で困っている同僚を見かけたら、職務に関係なく自発的にサポートしたり、大きな事故につながる前に忠告したりするような行動のことです。

 

組織市民行動は、アメリカの産業心理学や経営科学の分野からやってきた言葉のようで、日本においては終身雇用慣行などによって、たとえ職務記述書に明文化されていないことであっても(そもそもその存在自体知らない社員も多いかも)、会社のために行動することは当たり前という風潮があるかもしれません。

 

この行動を規定する要因の研究も進んでおり、上司のリーダーシップ、職場における満足度、組織サポート、組織コミットメントなどさまざまな要因が挙げられています。また、なぜこのような行動をとるのかという研究もあり、見返り、印象管理、集団価値、集団規範といったことが言われています。

 

◆他社から学べない環境に◆

さて、記者の話に戻りますが、僕はこの言葉を知った時、真っ先に他社の先輩の顔が頭に浮かびました。しかし、他社の先輩が、そっとささやいてくれたことや、取材手法を惜しまず見せてくれたことは、組織の効果的機能を促進する行動を飛び越えています。組織市民行動ならぬ「業界市民行動」とも言えます。本来なら同業他社はライバルであるはずなのに、なぜ往々にして手を差し伸べてくれるのでしょうか。

 

ここには、パーソナリティの差こそあれ、記者が持つ職業観が少なからず関わっているような気がします。朝日人である前に、読売人である前に、記者である、というような業界全体の風潮があるのではないでしょうか。やや青臭いですが、組織の利益よりも、社会正義に応えたい、公益に資するコンテンツを提供したいという思いのほうが強いのかもしません。その思いが、自社他社問わず、新人記者を学ばさせるのではないでしょうか。

 

今、記者の人員が減っています。地方に行けば、記者クラブは閑古鳥が鳴いている。新人として地方に配属されても、他社がいない。現場でもなかなかはち合うことがない。そんな状況も珍しくなくなってきているようです。そうなってくると、暗黙に形成されてきた学びのシステムは消滅してしまいます。新たな学習環境を構築せざるを得ない事態がすでにやってきているのかもしれません。

 

「一記者に他社が与える学びの影響」のような研究テーマも面白そうです。

 

それではお元気で。

臨場感を持ったエピソードを聞く3つのコツ!?

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◆エピソードを詳しく聞くのは案外難しい◆

 皆さんは、「あの人ってどんな人?」と自分の友人について尋ねられたとき、どのように答えていますか?

 先日、ある先輩から「辻さんは、誰かのことを話すとき、その人の『エピソード』を話すよね」と言われました。「あの人ってどんな人?」と聞かれると、自分が持っているその人の印象を話すことが一般的なのかもしれませんが、私は無意識にその人がこれまでどういう経験をして、どんなことを考えていたのかを話していたようです。先輩に言われるまで全く気付きませんでしたが、これまでの人の取材をして記事を書くという一連のスパイラルの中で染み付いてしまったのか、話す上でも客観性のある事実、つまりエピソードで語ることを自然と行っていたのかもしれません。

 エピソードを聞き出すのは、案外難しいものです。新聞社の上司や先輩には、エピソードについては、くどいほどに「ディティールを聞け」と言われたことを思い出します。今でも忘れません。入社して初めてある警察署で万引きの事件の発表があったとき、取材がヘタクソで1発で詳しい情報が聞けなかったため、デスクに何度も聞き直せと言われ、14回連続で副署長に電話しました。もはや、いたずら電話です。根気よく対応してくださった副署長には頭が上がりません。

 

◆ディティールを聞くテクニック◆

 それはさておき、人からエピソードを聞き出すとき、いくつか意識していた点があります。まず、大前提として、自分がその場にいるような感覚になるよう、目に浮かぶまでつぶさに聞くことが必要です。

 

その上で、細かいテクニックとして、主に3つの点が挙げられるように思います。

 

1:「嬉しかった」「楽しかった」「悲しかった」「怒った」を行動ベースで聞く

 人間の喜怒哀楽は、できるだけ表情や行動で表してもらえるように心がけます。それを意識するだけで、話の深みがぐっと増します。

 例えば、

①ずっとほしかった物を誕生日プレゼントとしてもらった。うれしかった。

②ずっとほしかった物を誕生日プレゼントとしてもらった。顔がほころび、急いで箱を開けた。

 普通に人から話を聞いていると、「あの時、プレゼントをもらって嬉しかったな」としか返ってきません。そこですかさず、最大限、想像を膨らませて「そのとき、どんな風に箱を開けたの」などと一言聞くようにします。それだけで、面白い話が出てくることがあります。

 

2:五感で感じ取れるものを聞く

 音、匂い、温度、味など、五感を聞くようにします。これがエピソードに臨場感をもたらすことにつながります。

例えば、

①公園のベンチに座った

②小鳥がさえずる春先の3月、暖かい風が優しく吹き抜ける公園のベンチに座った

 臨場感のあるエピソードを聞くには、「そのとき、どんな気候だった」「どんな匂いがした」「どんな音がした」などと尋ねます。五感を意識して聞くと、このようなスパイスを加えた表現ができるようになります。

 

3:その人しか語れない言葉を聞く

 これは聞き手にとって、一番の醍醐味だと思います。体験した人しか話せないことってあると思います。予想だにしないこと、その人を一言で表すような言葉が聞けた瞬間は、「今日はいい話を聞けたなぁ」と嬉しくなります。鳥肌が立つことすらあります。

 例えば、初めて卓球の国際大会に出場し、世界ランカーと戦った日本人選手がいました。試合後、対戦相手はどうだったかと聞くと、「相手は手ごわかった」と返ってきました。そこで、さらに「そう思った瞬間は試合の中でいつでしたか」と聞くと、「相手の球を受けたラケットが重かった。人生で初めての経験でした」と語ってくれました。

 そんな一言が飛び出して来たときは、もう心の中でガッツポーズですね。そういった言葉を聞き出す意識、そして敏感に反応できるようにアンテナを張り巡らせておくことが必要です。

 

◆「えっ、そんなことまで聞くの?」という顔をされたら勝ち◆

 今回は、人からエピソードを詳しく聞き取るコツについて考えてみました。このようなエピソードを聞き取る手法を実行していると、相手からすると、「えっ、何でそんなことまで聞くの?」と思われがちです。しかし、目的が明確にあれば、臆する必要はありません。とりわけ、記者という仕事であれば、大体は一期一会の一発勝負でいかに良い話を持って帰れるかが勝負です。記事の品質はそれにかかっています。

 普段から意識することはないとは思いますが、誰かの話を積極的に聞かなきゃいけないとき、こういった点を意識すると、よりリアルなものが描写できるようになるかと思います。何かの役に立てられたらと、記者のテクニックを忘れないうちに言語化しておきました。

 

それでは、お元気で。

核心的な情報へ迫るために3つのタイプの“おじさん”を探せ!

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先だって、大学院の中原先生のレクチャーを聞いていて、人材開発を支える正しい情報収集のポイントの一つとして、キーインフォーマンツ(カギとなる情報提供者たち)を見抜くことの大切さについて学びました。

 

「どのような情報が得られるか」は「誰から聞くかに依存する」ということで、人材開発の担当者が、現場の生声を聞くために、ポイントとなる人について解説されていました。私は少し違う立場、つまり記者として、組織外から、別の組織の内部情報を収集してきた経験を重ね合わせながら聞いていました。そういったなかで、リアルな情報へのアプローチ方法については、近い部分が多いなと興味深く聞いていました。

 

◆キーインフォーマンツを見抜く◆

当事者でない人間が、現場の生の声を把握するのは難しいものです。ググって出てくるはずもありません。核心的な情報へアプローチするために、まず大切なのは「信頼」かと思います。「こいつになら話してもいい」と思ってもらえることが、大前提として必要になるように思います。

 

記者の場合は、「情報を取る」ことが大きな仕事の一つなので、何か噂を聞き、雰囲気を感じ取ったときに、公式発表以外に、そのネタを深掘りしたり、確実に裏が取れたりする人脈がないのは致命的です。

 

しかし、信頼関係構築にかける時間と労力に限りがある中で、どうアプローチしていくのか。それはまさに、キーインフォーマンツを見抜いた上で、人間関係を構築していくことが重要となります。

 

◆3つのインフォーマント◆

記者としてやっていくには、突発的に何か起こったとき(発生型問題)、意識的に何かに取り組みたいとき(探索型問題)、すぐに動けるようにしておくためには、対象となる当事者以外に、常々付き合っておくべき人がいます。

 

それは、3つのタイプのインフォーマントです。

 

①物知りおじさん(別におじさんじゃなくていいけど)

もう、何でも知っている。森羅万象あらゆる話が飛び込んできても、「それ何?」と聞くとすぐに答えてくれる人。まずは全体像、概要を教えてくれる。いわゆる生き字引です。さらには、こういうおじさんは詳細に知っていなくても、「最近こんな話聞いたな」と端緒を提供してくれることもあります。組織内だと、社交的なベテラン層に多いような気がします。こういう人は何気にいるものです。

 

②つながりおじさん(いやほんまにおじさんじゃなくていいけど)

知り合いたい人とつないでくれる。これに関しては、全ての分野についてつながりが深い人はあまりいないため、複数人のつながりおじさんと知り合っていると、ものすごく助かります。例えば、あなたが、今日中に産業廃棄物処理業者の社長に会って、業界の話を聞きたいとしたら、どうしますか。あなたが同業者なら容易に接触できるでしょうが、そうでない人は「どうしよう」と右往左往しますよね。つながりおじさんは、こういう人たちをさらっと紹介してくれるのです。組織においては、各部署でそういう人がいるとありがたいですね。

 

③聞きおじさん(しつこいけど、おじさんじゃなくていい)

ものすごくディープな情報を聞いてくれる人。特にトップシークレット系の情報を提供してくれる人がいると、一気に核心的な情報にまで迫れます。直接会っても、決して教えてくれない人が、聞きおじさんを通すとあっさりと話している。そんなこともあります。こういう人を味方につけるのは至難の業かもしれませんが、じっくりゆっくり付き合っていくと、お互い腹を割った仲になれるかもしれません。組織で言うと、管理者レベルでは、意思決定者の今後の方針や人事情報、現場レベルでは、部下の上司に対する評価、業務実態などの情報になるでしょうか。ちょっとアウトローな感じがしますが、お願いすれば、当事者にこのような情報を聞いてくれる人がいます。

 

 

◆リアルな情報はアナログで取るしかない◆

リアルなドロドロした情報を取ることは、簡単ではありません。本音を隠してうまく立ち振る舞うことは、多くのビジネスパーソンが備えているスキルだからです。これだけ情報があふれている時代でも、ここだけは信頼を築き上げた上でアナログに取るしかありません。しかも、そこに問題の本質が眠っていることが多いようにも思います。核心的な情報は、不断の努力によって掴み取っていくものなのかなと。

 

今日は核心的な情報への迫るための人間関係づくりについて考えてみました。情報は経営資源の一つと言われますが、たとえ記者でなかったとしても、組織内外において情報が取れる人は、やはり優秀なんじゃないかなと、個人的には思います。心の中では、よだれを垂らして「情報がほしい」と思っていたとしても、あからさまに色気を見せてはいけない。絶妙な距離感をつかむ能力も必要だと思います。情報を取るというのは、意外に奥が深いものなのではないでしょうか。

 

お元気で。

記者から取材されて気付いたこと

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◆初めて取材を「受けた」◆

先日、ある雑誌の記者から取材を受けました。いつも取材を「する側」で、「される側」に立つのは初めてだったので、どういう感じなのだろうと、期待と不安が入り交じりながら臨みました。取材テーマは詳しく触れませんが、自らのキャリアなどについて語りました。

 

取材されてみて、一番大きな気付きは、取材された側は予想以上に大きな不安を抱えるということでした。

 

取材を終えてまず初めに思うのは、「正しく伝わったのか、思っていることを伝えきれたのか」という疑問です。これは、取材を承諾した側も「いい記事にしたい」と思っている故の感情だと思うのです。

 

「いい記事を書きたい」と思っている記者に、「いい記事を書いてほしい」と思うから、「きちんと情報を伝えたい」けど、「本当にきちんと伝わったのかな」と、思っていた以上に不安になりました。

 

◆取材対象者の不安を和らげる3つのポイント◆

そこで、記者の立場から考えてみます。そういった取材される側の不安を少しでも和らげるためにできることは、この3つではないかなと思います。

 

1:前もって、記事の方向性と質問する大まかな内容を伝える

まずアポを取る際に、電話でもメールでも、どういう企画で、どんな趣旨で聞くのかを、アウトプットのイメージと合わせて伝える。これは、取材対象者に前もって、話を思い出しておいてもらう効果もあると思います。

当然、当日に話を聞いた中で、聞く内容を変更することもありますが、少なくとも実名か匿名か、写真撮影の有無、所要時間、単独で載るのか誰かと抱き合わせで載るのか、掲載予定日はいつかなど、アウトプットイメージが明確であればあるほど、取材対象者は準備しやすいように思います。

 

2:取材中は「こういうことですよね」と、都度、聞いた内容の確認をする

取材対象者は、基本、聞かれたことを答えるというスタンスです。記者は記事を想定しながら、企画の趣旨に合った部分や面白みを中心に深く掘り下げます。だから、取材対象者が頭で整理している通りに聞かない場合があります。

取材対象者は、なるべく記事なりそうな面白い部分を自分で想像しながら、提供しようとしますが、蛇足になるのではと、躊躇しているところがあります。そういう部分を取りこぼさないためにも、記者は、ある程度聞けたと思ったタイミングで、時系列などを整理しつつ、「こういうことですよね」と事実確認することが好ましいと思います。取材対象者の意図と異なる記事にならないようになることと、語りきっていない内容を補足してもらえるメリットがあります。あくまでも「時間の許す範囲で」ということですが。

 

3:激しく同意する

昔、よく上司から「カメレオンになれ」と言われました。自分の相性のいい相手だけ話が聞けても、プロではないと。相性の悪い相手でも、自分の取材スタイルを柔軟に変えながら聞けるようになれと言われました。これについては少し思うところはありますが、あながち全て間違っているというわけでもないように思います。

まずは、取材対象者に「この人は自分のことを理解してくれる人だ」と思ってもらうことが極めて重要だと思いました。心理的安全を担保しないと、本音が語りにくい。記事にするにあたって、「なぜ」と繰り返し尋ねるのは、記者の宿命だとしても、問い詰めるように聞くのは、取材対象者を身構えさせてしまうかもしれない。

大学院の研究合宿で知り合ったフリーライターの方が、「大きく共感することが取材のコツだ」というようなことをおっしゃっていましたが、取材されてみてこれはかなり大事だと思いました。取材の目的は議論することではないので、仮に自分と意見が異なる人であったとしても、共感する。この考え方はビジネスで言う「コーチング」に近いのかもしれません。権力組織の取材など、問いつめないといけない取材については別問題ですけどね。

 

以上です。

 

◆一期一会を真剣勝負で◆

 今回は、取材される側の視点から、取材手法について考えてみました。私は以上のポイントは何気なく行っていましたが、すごく重要なことなんだなと痛感しました。もう何千人と取材してきて、「この期に及んで……」感はありますが^^; 取材する記者は、「日々の仕事の一つ」。しかし、取材される側は「人生で一度」かもしれない。記者は取材対象者に大きな心的負担をかけていることを自覚しながら、感謝の念を持ちつつ、できるだけ毎度の一期一会の空間を真剣勝負で臨みたいものです。自戒をこめて、そう思います。

 

今回の取材では、記者さんは和やかな雰囲気を作ってくださり、すごく心地よく話をさせていただきました。私なんぞの拙い話を熱心に聞いてくださり、心から感謝したいと思います。少しでも助けになっていればいいのですが……。

 

お元気で。

対話によって真実は導き出される!?

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◆見たまま、聞いたままは真実か◆

「編集は情報を都合良く改変するので悪だ、聞いたままを伝えることが尊し」というようなニュアンスの言葉を耳にすることがあります。編集が介入することは、純粋な情報が伝わらないのではという、情報の受け手による懸念の表れのように思います。

 

確かに、昨今、さまざまな局面で捏造や誤報の問題が取り沙汰され、情報の伝え手の資質が問われています。恣意的にメッセージをねじ曲げることは決して許されるものではありません。また、会見などで話された内容の全文を公開する振興メディアも勃興し、ピュアな情報が求められている時代の風潮があるようです。

 

ただ、ここで気をつけたいのは、「他者が介入していない情報こそが真実である」と過度に思い込むことです。記者や編集者が介入することで、真実だった情報が崩されていると過敏に反応し、「記者や編集者はいらねーよ」とする主張には、少し違和感を覚えます。

 

果たして、見たまま、聞いたままの情報は、真実なのでしょうか。

 

◆「助け舟」を出しながら対話して情報を得る◆

例えば、高校野球を引退した後、大学に現役合格した生徒にインタビューをしたとします。

 

「ずっと野球ばかりしてきました」(生徒)

 

「引退してからは、すごく勉強も頑張ってたんじゃない?」(記者)

 

「はい、めちゃくちゃ頑張りました」(生徒)

 

「なぜ頑張れたの?」(記者)

 

「うーん……」(生徒)

 

「野球の力が生かせた?」(記者)

 

「はい、それはありますね!」(生徒)

 

「どんなところがどう生かせた?」(記者)

 

「なんというか、戦っている感じが似ているというか……」(生徒)

 

「競争のなかで頑張って、結果が出たときの面白さとか似ているのかなぁ」(記者)

 

「そうです!それです。勉強にも同じ勝つ喜びがあるから頑張れたんです」(生徒)

 

稚拙な例だったかもしれませんが、このようにじっくりと対話を続けながら、時には言葉の「助け舟」を出し、相手の心の深奥に迫っていくことで、徐々に分かっていくこともあります。

 

 

◆何度も繰り返し問いかけて情報を得る◆

また、昔、こんなことがありました。

 

私は連載初回となる元旦の記事を担当することとなりました。そこで、子どもたちに森の大切さを伝える教室を開き、植林活動を続ける「森を守るおじいさん」を取り上げました。

 

会社から車で約3時間かけて、山奥のおじいさん自宅へ取材に出かけました。地域面一面を丸々使った特大の記事ということもあって、2~3時間、とことん話を聞き、さらには昔の写真も引っ張り出してきてもらって、あれこれと取材をしました。

 

しかし、おじいさんが、なぜそこまで山を守るのかということがわかりませんでした。

 

その疑問が解消されず、普通なら1日で取材を終わらせるところを、5日間通いました。

 

多少言い方を換えるなどしながら、何度も何度も同じ趣旨の質問を繰り返しました。すると、5日目におじいさんが、「昔、大雨で裏の山が土砂崩れになって、母屋がつぶれてよぉー。それから森が弱ってると思ったんやわ」とさらっとつぶやきました。

 

僕は心の中で「それやん!」と思いました。

 

おじいさんはあえて隠していたのではありません。初めから包み隠さず全てを打ち明けてくれていました。当然ですが、ほとんどの人は、普段から意識的に人生の振り返りをしているわけではないので、思っていることを言葉にしたり、自覚していなかったりすることが多いのです。

 

 

「真実は対話によって導き出される」

 

僕が記者の仕事を通じて学んだことです。表出されている見たまま、聞いたままの情報だけでは分からないことは多々あります。

 

記者の仕事は、人から話を聞くことに加えて、人から真意を引き出すことでもあります。とりわけ、相手が言いたくない話を聞く時は、ほとんどが引き出す作業になります。

 

アンテナを張り巡らせながら、対話を繰り返し、言葉と言葉、または、事実と事実をつなぐことも、記者の役割であると思うのです。

 

僕は「核心はここだ」と思ったとき、少し時間を置きながら何度も同じ質問をします。質問をされた方は、はじめは答えられなくても、別の事柄を話しているうちにその質問が頭で反芻され、よりよく言語化してもらえることがあるからです。

 

その人が語ること、目に見えること、そのまま受け止めることも大切ですが、時には心に芽生えた疑問が解消されるまで、あえてちょっと粘ってみる。もしかすると、その人にしか語れない奥深い言葉が出てくるかもしれません。

 

相手の言葉に心を寄せること、相手の言葉を疑うこと、この相反する行為を絶妙なバランスでこなしていくことが、真実に迫る一つのコツかもしれません。

 

今回は、ピュアな情報を求める時代の風潮から、記者、編集者が介入することの意義について考えてみました。伝え手には言うまでもなく、極めて高い倫理観が求められます。私利私欲を差し挟むことなく、取材対象者にも、情報の受け手にも、配慮せねばなりません。それを担保した上で、聞くことも書くことも続けていかなければならないと思います。自戒を込めて。

 

お元気で。